arr and Prof. Fether. の最後の部分の狂者《きちがい》たちの行動の描写に至っては、面白いというよりも自然と頭がさがるのを覚える。いずれ私は「犯罪文学研究」の中に、私のポオ論を書くつもりであるが、私はいつもポオより後の時代に生れたことを喜んでいるのである。
ルヴェルの作品では、今一々数えあげるの煩《はん》を避けるが、一つとしてうれしくないものはない。私はルヴェルの書くような小説を自分でも書いて見たいという年来の希望であるが、彼の作品を読むと、自分自身の筆があまりに見すぼらしくなって、穴へでもはいりたくなるくらいである。
次に短篇ではチェスタトンが好きである。最もチェスタトンの英語は、どういうものかポオの英語のように、私に迫って来ない。これは勿論私の英語の力が足らぬためでもあろうから「不足」はいえぬが、とにかく、師父ブラウンの出て来る短篇と The man who knew too much. に収められた作品は、何ともいえぬ、いい味がある。
次には、ダヴィソン・ポーストやビーストンの作品が、私にとって頗《すこぶ》るうれしいものである。ビーストンの作品を読むときは
前へ
次へ
全5ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小酒井 不木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング