、一たいこんどは作者がどういう「オチ」をつけるだろうかと少なからぬ好奇心にかられる。そしていつも終りに至って一ぱい喰わされる。だまされて喜ぶなんて、探偵小説の愛読者なんかになるものではないなどと考えながらも、やはり引きつけられてしまう。
英国に居る時分、私はドイルとフリーマンの作品に気狂いになっていたが、近頃はあまり読まない。しかし、嫌いになった訳ではなくて、みんな内容を知っているからである。(ポオやルヴェルは内容を知っておっても読まずにおられない。)シャーロック・ホームズの冒険、記念、帰国の三集に収められた物語のプロットにはいつも感心する。この三集だけは、当分のうちは探偵小説界にその燦然たる光を失わないであろう。
私は軽いユーモアに充ちた作品よりも、いわば凄みを帯んだユーモアを持った作品が好きである。だからポオの The Tell−Tale Heart. の如きものが、喰いつきたいほど好きである。これに反してルブランやマッカレーあたりのユーモアは、面白いとは思っても、それに耽溺するほどにはなれない。それにもかかわらずオルチーのユーモアはたまらなくいい。しかし、何故《なにゆえ》かといってきかれたとて答えられる訳のものではない。
アメリカに居る時分、毎晩 Detective Story Magazine を読んで、決して読み残しはしなかったものだが、近頃はこの雑誌と英国の Detective Magazine とを取っていながら、一月に三篇か四篇ぐらいずつしか拾い読みが出来なくなってしまった。ことに近ごろ、下手《へた》の横好きで創作を始めたら、尚更《なおさら》読む暇がないのに困ってしまった。だから、新らしい作家に関しては自分の知識は甚《はなは》だ乏しいのである。
長篇では、何といってもオルチーのスカーレット・ピンパーネル叢書が一ばん好きである。しかし、オルチー夫人の筆は少し長すぎはしないかと思っている。もう少しきりつめればきりつめられぬことはなさそうに思うが、ああいうのが英国人に向くのかも知れない。同じく長過ぎるとは思っても、コリンスの作品はそんなに気にならずに読んで行ける。「白衣の女」など、長いところに面白味があるように思われる。
ドウーゼもかなり好きであって、彼の長篇六つは非常な興味を持って読み、六篇とも追々翻訳して公《おおやけ》にするつもりであるが、何
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