って居ることに気づいたのだ。
それから後の一二時間というものは自殺の決心と生に対する執着とが猛烈に僕の頭の中で戦ったよ。僕は一時どうなることかと気が気でなかった。僕は或は発狂するのでないかと思った。しかし幸に発狂することなしに、解決の道を見出したのだ。
即ち、この生の執着に打勝って自殺するには、そこにスプリングボールドとなるものがあればよいということに気がついたのだ。君は恐らく、生の執着が頭をもたげたら、それに従って自殺を思いとどまったらよいではないかというであろうが、それは反省と妥協の余地のある自殺に限るので、僕のような場合にはただ生の執着に打勝つ方法が問題となるだけだ。
スプリングボールドはいうまでもなく死の道づれだ。死の道づれといえば、普通は、こちらの心に同情して死んでくれる者をいうのだ。けれども、不幸にして、僕にはそのような人を見つけることが出来ぬのだ。といって、スプリングボールドがなくては、とても死ねなくなって来たのだ。
そこで僕は大《おおい》に考えたよ。大に焦燥《あせ》ったよ。その結果、スプリングボールドとするには、あながち先方の同意を得なくっても、換言すれば、先方の意志にさからってでも、なし得《う》るものだということがわかったのだ。そうして、先方の意志にさからって道づれとする際には、一人自殺するよりも二人自殺する方が、二人自殺するよりも三人自殺する方が、遥に容易であることを知ったよ。この場合、「容易」というのは、手段の容易というよりも、心の「容易」を意味して居るのだ。
さて然らばいかなる人を、先方の意志にさからって道づれとするか。それについて僕は色々考えた結果、加藤君、君を道づれにしようと思ったのだ。
加藤君、
さぞ君は驚くだろう。然し、恋の勝利者を恋の敗北者が死の道づれにしようとするのだといえば、それは、別に不思議な現象でないことを君はよく知って居るであろう。君、しまいまで、読んでくれよ。君が今、顔色をかえ、手を顫わせて読んで居ることを、僕はよく知って居る。然し、折角僕が、この世の最後にしたためる手記だ。どうか、終りまで読んでくれ。
僕は今二人自殺するよりも三人自殺する方が容易だといった。そうだ。僕は君を道づれとすると同時に、恒子さんをも道づれとすることにしたのだ。
こういうと、定めし、君は、いかなる方法で、僕が、君たち二人を僕の道づれにするかを怪しむであろう。ところが、それは極めて、わけのないことだ。
今日の正午に、僕たち三人は、いつもの如く平和に食事をする。今日は一日で休業日だからほかの使用人は一人も居ない。君たちはまさか、僕が、君たちの抱擁をひそかに見たとは思わないであろうから、僕がこのような心をいだいて居ることに少しも気づかぬであろう。そこで僕は、君と恒子さんとの食《たべ》ものの中へ、――の致死量をまぜようと思う。――は前に書いたごとく、自殺に都合のよいと同じく他殺にも都合がよいのだ。
もとより、君たちが食事を終った後に、僕は――をのむ。そうして、君が食事をしてしまってから約三十分ほど過ぎて、この手記を渡すのだ。すると君と恒子さんは、――をのまされたことを知って定めし狼狽するであろうが、も早どうすることも出来ないのだ。
君たちが昏睡に落《おちい》ると、僕は君と恒子さんとをならばせ、それから、僕は恒子さんのわきに横になろうと思う。そうすれば僕と君とは恒子さんをはさんで死ぬことになるのだ。
加藤君、
このあたりの文句は、ことによると、君の眼には触れぬと思う。――何となれば君たちはきっと、中毒から逃れようと、もがくであろうから――けれども、手記を完成して置かないことは気がかりになるから、僕は書き続けるのだ。
思えば、君と僕とは、同じ病院を経営してこれまで、何の波瀾もなく暮して来た。だから、僕たちが三人一しょに死んだら、さだめし世間の人たちは驚くであろう。
もとより、この手記を見れば、何のために、僕たちが死んだかはすぐわかる。けれども、ここに、たった一つだけ、永久にわからぬ事情が残るであろう。
というのは、この手記を書いたのが、外科の加藤か、内科の加藤かということである。それほど僕たち二人の筆跡はよく似ている、というよりも全く同じだといってよいからだ。もし恒子さん――主任看護婦の恒子さんが生きて居《お》れば、失恋者がどちらであるかはたちどころにわかるが、その唯一の判断者たる恒子さんも共に死ぬのだから、もはや生きている誰にもわかりようがない。これが、せめてもの、失恋者たる僕の慰めだ。
思うに、君と僕とは、全く運命を共にすべくこの世に生れて来たといってよい。何となれば、僕たちは、世にもよく似た双生児だから。
底本:「怪奇探偵小説名作選1 小酒井不木集 恋愛曲線」ちくま文庫、
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