のでなくてはならない。そして探偵小説は描写の技巧の優れたるよりも筋《プロット》の優れたものを上乗《じょうじょう》とすべきであろうと自分は思う。それ故|覚束《おぼつか》ない外国語で読んでも、比較的完全にその趣向を味うことが出来るのである。劇とか詩とかは、言葉そのものから、しっくり味ってかからねばならぬのであるが探偵小説には、たとい、今後馬場氏が適切に説破せられたように、人情や風景の描写が多く入って来ても、興味の焦点となるものはやはりその筋書でなくてはならないと思う。この点があればこそこうして自分ごときの素人が、探偵小説に嘴《くちばし》を入れ得る訳である。
探偵小説の面白味は言う迄もなく、謎や秘密がだんだん解けて行くことと、事件が意表外な結末を来す点にある。而もその事件の解決とか、発展とかが、必ず自然的《ナチュラル》でなくてはならない。換言すれば偶然的、超自然的又は人工的であることを許さない。其処《そこ》に作者の大なる技巧を必要とする。即ちジニアスを要するのである。如何によい題材を得ても、また如何に自然科学に精通しても、単にそれだけでは駄目である。而も題材には限りがあり、又科学的新知識にも、進歩の頂点がある。実際、近頃の探偵小説を見るに大抵どれもこれも題材ががよく似ておって、これはと思う新奇な材料は少いのである。それ故今後の探偵小説家はどうしても筋の運び方、材料の取り方に新機軸を出すより外はないであろう。
こんな理窟を並べると何だか擽《くすぐ》ったいような気持になるから、柄《がら》にないことはまあこれ位にして、さて「二銭銅貨」はどの点が優れているかというに、読者の既に読まれた如く、その巧妙《インジニアス》な暗号により、只管《ひたすら》に読者の心を奪って他を顧みる遑《いとま》をあらしめず、最後に至ってまんまと背負《しょい》投を食わす所にある。丁度ルブランの「アルセーヌ・リュパンの捕縛」を読んだ気持である。銅貨のトリックは外国の探偵小説からヒントを得たのであるかもしれぬが、点字と六字の名号とを結び付けた手腕は敬服の外はない。この点は地下のポオも恐らく三舎を避くるであろう。由来日本語を表わす暗号には巧妙なものが少く、この暗号は正に従来作られた暗号中の白眉と言ってよかろう。その他筋の運び方、描写の筆致など、どの点にも間然する所がない。ただ暗号の文字を八字ずつ[#「八字ずつ」
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