まかに解剖して批評しようとしては、折角の味は滅茶々々にされてしまう。私は江戸川兄の作品を読んで、この部分のこういう風に出来ているから面白いと思ったことは一度もなく、全体を読み終って、その際受けた感じが、たまらなくよいから、面白いという迄である。日本刀のニオイでも、顕微鏡にかけたならば、案外に汚ない部分がないとも限らぬように、優秀な探偵小説でもその部分々々を、綿密に検討したならば、多少の不自然や、「こしらえ」が眼につくのはあたりまえであって、それによって作品の価値を云々するのは、当を得ていないかと思う。もっとも探偵小説の生命たる「推理」に矛盾があっては絶対にいけないけれども、それさえある場合には眼ざわりにならない。例えばポオの「マリーロージェ事件」の始めの部分と終りの部分には、ヂュパンの推理に矛盾があるけれど、でもやっぱり、あの作品は私にとって面白いものである。もっとも、推理に矛盾が無ければなお一層面白いにちがいないけれども、多くの読者はその矛盾に気づかずに読んでしまうから、少しも差支はないのである。たとい探偵小説の一つの目的が知的満足を与うる所にあっても、数学や物理とちがって、芸術であ
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