とを報告すると同時に、ペインが彼女の失踪後二日三日の間、自ら捜索を行いつつあったにかかわらず、水曜日に彼女の死体が発見されたという報知を得ながら、それを見に行かなかったことを不思議な現象だとして特に世人の注意を促した。
 その日は警察でペインを中心として午前八時から午後七時まで熱心な研究が行われたが、死体がロオジャース嬢に間ちがいないという程度以上に捜索は進まなかった。死体鑑別の証人は幾人かあったが、そのうちには、メリーの以前の求婚者たるクロムリン(小説では、ボオヴェー君)も居た。この男は、心配事があったら、いつでも呼びに来てくれとでも言ってあったのか、メリーが殺される前の金曜日にロオジャース夫人(メリーの手蹟で)から、一寸来てくれという手紙を受取ったが、先だって訪ねたとき、冷淡な待遇を受けたので、行くことをしなかったのである。が、土曜日に、彼の家の石の名札にメリーの名が書かれ、鍵孔には薔薇の花が挿してあった。水曜日にクロムリンは死体発見の報を得てホボーケンへ行って夕方まで居たが、天候がいやに蒸暑かったので、審問が大急ぎで済まされ、死体は埋葬された。で、彼が帰宅しようと思ってハドスン河を渡ろうとしたが渡船が出なかったので、ジャーセー市まで歩いた。しかし、ここでも船は出なかったため、やむなく宿泊するに至った。だからメリーの死体は母親の目にもペインの目にも触れなかった訳で、ただその衣服によって、メリーだということが鑑別された。
 死体を最初に発見した紳士たちは、彼女が宝石類を身につけていなかったことを誓った。しかも、彼女はたしかに宝石を身につけて、家を出たらしいのである。なお又紳士たちは、紐も縄も死体には巻かれてなかったといったので、この点バーンスの記載と頗《すこぶ》るちがっているけれども、どちらが本当であるかは、今になって知る由もない。
 彼此《かれこれ》するうちに、ここに新らしいセンセーションが起った。それは何であるかというに、以前ナッソー街一二九番地に住んでいたモース(小説ではマンネエ)という木彫師が犯人嫌疑者として逮捕されたことである。彼はマッサチューセット州ウースターから七マイル離れた西ボイルストンで八月九日に逮捕されたのであって、その前数日間というもの、彼は仮名のもとにその辺をうろついていた。逮捕される前、ウースターの郵便局でニューヨーク発の彼宛ての手紙が発
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