、原著者以上に文章の力がなくては出来ぬと語られた、兆民先生は斯く信ずるが故に、科学、理論の書は多く訳したけれど、文章に重きを置くべき文学の書には手をつけなかつた。
 併し文章を主としない学術理論の書でも、兆民先生は極めて雄健明快の文章を以て之を訳して、毫も斧鑿の痕を止めなかつた、之と同時に亦た原文の字句にも極めて忠実であつた、若し原語の意義にして少しく明瞭を欠く所あれば、常に訳者不学にして解する能はず云々と一々明白に断り書きして残し置き、苟くも良い加減に糊塗して置くやうなことはなかつた、是れ翻訳家として元より当然の義務ではあるが、今日のペダンチツクな才子連の到底為し能はざる所である。
 予は文芸学術の書を訳するの力はないが、新聞雑誌に関しては、多少翻訳の経験がある、予が初めて兆民先生の玄関番より、一躍して自由新聞の翻訳掛となつたのは、廿三歳の時であつた、月給大枚六円! 夫れで毎月ルーター電報を訳することを命ぜられた、其当時は未だ府下の新聞で一つも直接に外国電報を取て居るのはなく、皆横浜のメールやガゼツトなどから転載するのであつた、国民英学会でマコーレーやヂツケンスやカアライルなどを読だ
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