が顕はれて来る、若し大部な書籍などになると、一字一句も誤謬なく完全に訳さるゝといふことは、殆と望む可らざることである、是は予が洋学の素養不足の為めに独り斯く感ずるのみでなく、孰れの老大家でも同様だと聞いて居る、而し夫だから誤謬は仕方がないとして許す訳には行かぬ、無論出来得る限りは一個の誤謬もなきことを力めねばならぬ、是れ第一の困難である。
けれど兎に角翻訳を思ひ立つ以上は、原文は十分に解し得られる、自国文を読むが如くに咀嚼し得たものと仮定しても良いが、扨て書き出すと、直ぐ今度は訳語撰定の困難が来る、原文の意義は十分に解つて居ても、此意義を最も適当に現はし得る文字は、容易に見つかるものではない、余程文字に富だものでも嚢の物を探るやうには行かぬ、其苦心は古の詩人が推敲の二字に思ひ迷つたのと少しも異なる所はない、其処で負惜みの先生は、どうも日本語や漢語は、適当な熟語に乏しくて困るとつぶやく、其実熟語に乏しいのではなく、其人の腹笥が乏しいのだ、と故兆民先生は語られた、故思軒居士や、鴎外君などの翻訳の自在なのは、彼等の文字に富むてふことが有力な武器であるに違ひない。
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