文士としての兆民先生
幸徳秋水
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)将《も》ち去る
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「足+(日/羽)」、第4水準2−89−44、284下−11]
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一
官吏、教師、商人としての兆民先生は、必ずしも企及すべからざる者ではない。議員、新聞記者としての兆民先生も、亦世間其匹を見出すことも出来るであろう。唯り文士としての兆民先生其人に至っては、実に明治当代の最も偉大なるものと言わねばならぬ。
先生、姓は中江、名は篤介、兆民は其号、弘化四年土佐高知に生れ、明治三十五年、五十五歳を以て東京に歿した。
二
先生の文は殆ど神品であった。鬼工であった、予は先生の遺稿に対する毎に、未だ曽て一唱三嘆、造花の才を生ずるの甚だ奇なるに驚かぬことはない。殊に新聞紙の論説の如きは奇想湧くが如く、運筆飛ぶが如く、一気に揮洒し去って多く改竄しなかったに拘らず、字句軒昂して天馬行空の勢いがあった。其一例を示せば、
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我日本国の帝室は地球上一種特異の建設物たり。万国の史を閲読するも此の如き建設物は一個も有ること無し。地上の熱度漸く下降し草木漸く萠生し那辺箇辺の流潦中若干原素の偶然相抱合して蠢々然たる肉塊を造出し、日照し風乾かし耳目啓き手足動きて茲に乃ち人類なる者の初て成立せし以来、我日本の帝室は常に現在して一回も跡を斂めたることなし。我日本の帝室は開闢の初より尽未来の末迄縦に引きたる一条の金鉄線なり。載籍以来の昔より今日並に今後迄一行に書き将《も》ち去るべき歴史の本項なり。初生の人類より滴々血液を伝え来れる地球上譜牒[#底本では「牒」は「爿+(世/木)」となっている、282下−14]の本系なり。之を人と云えば人なり。之を神と云えば神なり。政治学的に人類学的に宇内の最も貴重すべき一大古物なり。上無始に溯りて其以前に物あることなく、此宇内の最も貴重すべき古物をして常に鮮美清麗の新物たらしめ、下無終に延きて其以後の物有ること無からしむること是れ豈我儕日本人民の至頂に非ずや。其至頂を成就せんと欲せば如何。皇室と内閣と別物たらしむるに在るのみ。
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の如きである。東雲新聞、政倫、立憲自由新聞、雑誌「経綸」「百零一」等は実に此種の金玉文字を惜し気もなく撒布した所であった。又著書に於ても飄逸奇突を極めて居るのは「三酔人経綸問答」の一篇である。此書や先生の人物思想、本領を併せ得て十二分に活躍せしめて居るのみならず、寸鉄人を殺すの警句、冷罵、骨を刺すの妙語、紙上に相踵ぎ、殆ど応接に遑まあらぬのである。
三
併し先生自身は、単に才気に任せて揮洒し去るのに満足しては居なかった。自分が作る所の日々の新聞論説は単に漫言放言であって決して、文章というべき者ではないと言い、予が「三酔人」の文字を歎美するに対しては、彼の書は一時の遊戯文字で甚だ稚気がある。詰らぬ物だ。と謙遜して居た。然り、先生は其気、其才、彼が如きに拘らず、文章に対しては寧ろ頗る忠実謹厳の人であった。
先生は常に曰った。日本の文字は漢字である。日本の文章は漢文崩しである。漢字の用法を知らないで文字の書ける筈はない。飜訳などをするものが、勝手に粗末な熟語を拵えるのは読むに堪えぬ。是等は実に適当な訳語が無いではない。漢文の素養がないので知らないのだ云々。先生は実に仏蘭西学の大家たるのみでなく、亦漢学の大家として諸子百家窺わざるはなかった。西洋から帰って仏学塾を開き子弟を教授して居た後までも、更に松岡甕谷先生の門に入って漢文を作ることを学んで怠らなかったのである。
故に其飜訳でも著作でも、一字一語皆出処があって、決して杜撰なものでは無かった。彼の「維氏美学[#底本では「維代美学」と誤植]」の如き、「理学沿革史」の如き飜訳でも、少しも直訳の臭味と硬澁の処とを存しない。文章流暢、意義明瞭で殆ど唐宋の古文を読むが如き思いがある。
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抑も芸術の物たる其由て居る所果して、安くに在る哉。蓋し吾人情性皆悩中一種の構造に繋る者にして其庶物の観に於けるや嗜む所あり嗜まざる所有り。而して庶物の形状声音是の如く其れ蕃庶なりと雖も之を要するに二種を出でず。即ち形態は人目を怡ましむる者にして其数万殊なるも竟には線条の相錯われると色釆の相雑われるとに外ならず。声音は人耳も怡ましむる者にして其の種は千差万別なるも竟に亦抑揚下緩急疾徐の相調和するに外ならず。
[#ここで字下げ終わり]
是れ維氏美学[#底本では「維代美学」と誤植]の一節である。近時諸種の訳書に比較して見よ。如
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