な覚悟を為し得ることと、肉体の苦痛を伴わぬこととは他の死に優るとも劣る所はないかと思う。
左らば世人が其を忌わしく恐るべしとするのは何故ぞや、言う迄もなく死刑に処せられるのは必ず極悪の人、重罪の人たることを示す者だと信ずるが故であろう、死刑に処せらるる程の極悪・重罪の人たることは、家門の汚れ、末代の恥辱、親戚・朋友の頬汚しとして忌み嫌われるのであろう、即ち其恥ずべく忌むべく恐るべきは、刑に死すちょうことにあらずして、死者其人の極悪の質、重罪の行いに在るのではない歟。
仏国の革命の梟雄マラーを一刀に刺殺して、「予は万人を救わんが為に一人を殺せり」と法廷に揚言せる二十六歳の処女シャロット・ゴルデーは、処刑に臨みて書を其父に寄せ、明日[#「明日」に「(ママ)」の注記]に此意を叫んで居る、曰く「死刑台は恥辱にあらず、、恥辱なるは罪悪のみ」と。
死刑が極悪・重罪の人を目的としたのは固よりである、従って古来多くの恥ずべく忌むべく恐るべき極悪・重罪の人が死刑に処せられたのは事実である、左れど此れと同時に多くの尊むべく敬すべく愛すべき善良・賢明の人が死刑に処せられたのも事実である、而して甚だ尊敬すべき善人ならざるも、亦た甚だ嫌悪すべき悪人にもあらざる多くの小人・凡夫が、誤って時の法律に触れたるが為めに――単に一羽の鶴を殺し、一頭の犬を殺したということの為めにすら――死刑に処せられたのも亦た事実である、要するに刑に死する者が必しも常に極悪の人、重罪の人のみでなかったことは事実である。
石川五右衛門も国定忠治も死刑となった、平井権八も鼠小僧も死刑となった、白木屋お駒も八百屋お七も死刑となった、大久保時三郎も野口男三郎も死刑となった、と同時に一面にはソクラテスもブルノーも死刑となった、ペロプスカヤもオシンスキーも死刑となった、王子比干や商鞅も韓非も高青邱も呉子胥も文天祥も死刑となった、木内宗五も吉田松蔭も雲井龍雄も江藤新平も赤井景韶も富松正安も死刑となった、刑死の人には実に盗賊あり殺人あり放火あり乱臣賊子あると同時に、賢哲あり忠臣あり学者あり詩人あり愛国者・改革者もあるのである、是れ唯だ目下の私が心に浮み出る儘に其二三を挙げたのである、若し私の手許に東西の歴史と人名辞書とを有らしめたならば、私は古来の刑台が恥辱・罪悪に伴える巨多の事実と共に、更に刑台が光栄・名誉に伴える無数の例証
前へ
次へ
全11ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸徳 秋水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング