なった。王子比干や商鞅《しょうおう》も韓非子も高青邱も、呉子胥や文天祥も、死刑となった。木内宗五も吉田松陰も雲井竜雄も、江藤新平も赤井景韶も富松正安も、死刑となった。刑死の人には、実に盗賊あり、殺人あり、放火あり、乱臣・賊子あると同時に、賢哲あり、忠臣あり、学者あり、詩人あり、愛国者・改革者もあるのである。これは、ただ目下のわたくしが、心にうかびでるままに、その二、三をあげたのである。もしわたくしの手もとに、東西の歴史と人名辞書とをあらしめたならば、わたくしは、古来の刑台が恥辱・罪悪にともなったいくたの事実とともにさらに刑台が光栄・名誉にともなった無数の例証をもあげうるであろう。
スペインに宗教裁判がもうけられていた当時を見よ。無辜《むこ》の良民であって、単に教会の信条に服さないとの嫌疑のために焚殺されたものは、幾十万を算するではないか。フランス革命の恐怖時代を見よ。政治上の党派をことにするという故をもって斬罪となった者は、日に幾千人にものぼっているではないか。日本幕府の歴史を見よ。安政の大獄をはじめとして、大小各藩において、当路と政見を異にしたがために、斬に処し、もしくは死をたまわった者は、かぞえるにたえぬではないか。ロシア革命運動に関する記録を見よ。過去四十年間に、この運動に参加したため、もしくはその嫌疑のために刑死した者が数万人におよんでいるではないか。もしそれ、中国にいたっては、冤枉《えんおう》(無実の罪)の死刑は、ほとんどその五千年の歴史の特色の第一ともいってよいのである。
こう見てくれば、死刑は、もとより時の法度にてらして課されたものが多くをしめているのは、論のないところだが、なんびとかよく世界万国有史以来の厳密な統計をもとにして、死刑はつねに恥辱・罪悪にともなうものだと断言しうるであろうか。いな、死刑の意味する恥辱・罪悪は、その有している光栄もしくは冤枉よりも多いということすらも、断言しうるであろうか。これぞ、実に一個未決の問題である、とわたくしは思う。
故に、今のわたくしに、恥ずべく、忌むべく、おそるべきものがあるとすれば、それは、死刑に処せられるということではなくて、わたくしが悪人であり、罪人であるということにあらねばならぬ。これは、わたくし自身が論ずべきかぎりではなく、また論ずる自由をもってはいない。ただ死刑ということ、そのことは、わたくしにとって、なんでもない。
思うに、人に死刑にあたいするほどの犯罪があるであろうか。死刑は、はたして刑罰として当をえたものであろうか。古来の死刑は、はたして刑罰の目的を達することにおいて、よくその効果を奏したか、ということは、学者のひさしくうたがうところで、これまた、未決の一大問題として存している。けれども、わたくしは、ここで死刑の存廃を論ずるのではない。今のわたくし一個人としては、その存廃を論ずるほどに死刑を重大視してはいない。病死その他の不自然な死が来たのと、はなはだ異なるところはない。
無常迅速・生死事大、と仏家はしきりにおどしている。生は、ときとしては大いなる幸福ともなり、またときとしては大なる苦痛ともなるので、いかにも事大にちがいない。しかし、死がなんの事大であろう。人間の血肉の新陳代謝がまったくやすんで、形体・組織が分解しさるのみではないか。死の事大ということは、太古より知恵ある人がたてた一種のカカシである。地獄・極楽の蓑笠つけて、愛着・妄執の弓矢をはなさぬ姿は、はなはだものものしげである。漫然と遠くからこれをのぞめば、まことに意味ありげであるが、近づいて仔細にこれを見れば、なんでもないのである。
わたくしは、かならずしもしいて死を急ぐ者ではない。生きられるだけは生きて、内には生をたのしみ、生を味わい、外には世益をはかるのが当然だと思う。さりとてまた、いやしくも生をむさぼろうとする心もない。病死と横死と刑死とを問わず、死すべきのときがひとたびきたなら、十分の安心と満足とをもって、これにつきたいと思う。
いまやすなわち、そのときである。これが、わたくしの運命である。以下すこしくわたくしの運命観を語りたいと思う。
底本:「日本の名著 44 幸徳秋水」中公バックス、中央公論社
1984(昭和59)年10月20日初版発行
入力:林 幸雄
校正:今井忠夫
2003年12月14日作成
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