もある。(第五)子孫の計がいまだならず、美田をいまだ買いえないで、その行く末を憂慮する愛着に出るのもあろう。(第六)あるいは単に臨終の苦痛を想像して、戦慄するのもあるかも知れぬ。
いちいちにかぞえきたれば、その種類はかぎりもないが、要するに、死そのものを恐怖すべきではなくて、多くは、その個々が有している迷信・貪欲・痴愚・妄執・愛着の念をはらいがたい境遇・性質等に原因するのである。故に見よ。彼らの境遇や性質が、もしひとたび改変せられて、これらの事情から解脱するか、あるいはこれらの事情を圧倒するにいたるべき他の有力なる事情が出来《しゅったい》するときには、死はなんでもなくなるのである。ただに死を恐怖しないのみでなく、あるいは恋のために、あるいは名のために、あるいは仁義のために、あるいは自由のために、さては現在の苦痛からのがれんがために、死に向かって猛進する者すらあるではないか。
死は、古《いにしえ》からいたましいもの、かなしいものとせられている。されど、これはただその親愛し、尊敬し、もしくは信頼していた人をうしなった生存者にとって、いたましく、かなしいだけである。三魂・六魂一空に帰し、
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