った者は、かぞえるにたえぬではないか。ロシア革命運動に関する記録を見よ。過去四十年間に、この運動に参加したため、もしくはその嫌疑のために刑死した者が数万人におよんでいるではないか。もしそれ、中国にいたっては、冤枉《えんおう》(無実の罪)の死刑は、ほとんどその五千年の歴史の特色の第一ともいってよいのである。
こう見てくれば、死刑は、もとより時の法度にてらして課されたものが多くをしめているのは、論のないところだが、なんびとかよく世界万国有史以来の厳密な統計をもとにして、死刑はつねに恥辱・罪悪にともなうものだと断言しうるであろうか。いな、死刑の意味する恥辱・罪悪は、その有している光栄もしくは冤枉よりも多いということすらも、断言しうるであろうか。これぞ、実に一個未決の問題である、とわたくしは思う。
故に、今のわたくしに、恥ずべく、忌むべく、おそるべきものがあるとすれば、それは、死刑に処せられるということではなくて、わたくしが悪人であり、罪人であるということにあらねばならぬ。これは、わたくし自身が論ずべきかぎりではなく、また論ずる自由をもってはいない。ただ死刑ということ、そのことは、わたくし
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