わたくしには、まことに自然の成り行きである。これでよいのである。かねての覚悟あるべきはずである。わたくしにとっては、世にある人びとの思うがごとく、いまわしいものでも、おそろしいものでも、なんでもない。
 わたくしが死刑を期待して監獄にいるのは、瀕死の病人が、施療院にいるのと同じである。病苦がはなはだしくないだけ、さらに楽かも知れぬ。
 これはわたくしの性の獰猛《どうもう》なのによるか。痴愚《ちぐ》なるによるか。自分にはわからぬが、しかし、今のわたくしは、人間の死生、ことに死刑については、ほぼ左のような考えをもっている。

       二

 万物はみなながれさる、とへラクレイトスもいった。諸行は無常、宇宙は変化の連続である。
 その実体《サブスタンス》には、もとより、終始もなく、生滅もないはずである。されど、実体の両面たる物質と勢力とが構成し、仮現する千差万別・無量無限の形体《フォーム》にいたっては、常住なものはけっしてない。彼らすでに始めがある。かならず終りがなければならぬ。形成されたものは、かならず破壊されねばならぬ。成長する者は、かならず衰亡せねばならぬ。厳密にいえば、万物すべてうまれいでたる刹那より、すでに死につつあるのである。
 これは、太陽の運命である。地球およびすべての遊星の運命である。まして地球に生息する一切の有機体をや。細は細菌より、大は大象にいたるまでの運命である。これは、天文・地質・生物の諸科学が、われらにおしえるところである。われら人間が、ひとりこの拘束をまぬがれることができようか。
 いな、人間の死は、科学の理論を待つまでもなく、実に平凡なる事実、時々刻々の眼前の事実、なんびともあらそうべからざる事実ではないか。死のきたるのは、一個の例外もゆるさない。死に面しては、貴賎・貧富も、善悪・邪正も、知恵・賢不肖も、平等一如である。なにものの知恵も、のがれえぬ。なにものの威力も、抗することはできぬ。もしどうにかしてそれをのがれよう、それに抗しようと、くわだてる者があれば、それは、ひっきょう痴愚のいたりにすぎぬ。ただこれは、東海に不死の薬をもとめ、バベルに昇天の塔をきずかんとしたのと、同じ笑柄《しょうへい》である。
 なるほど、天下多数の人は、死を恐怖しているようである。しかし、彼らとても、死のまぬがれぬのを知らぬのではない。死をさけられるだろうと
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