壮の士に待たねばならぬ。古来の革命は、つねに青年の手によってなされたのである。維新の革命に参加してもっとも力のあった人びとは、当時みな二十代から三十代であった。フランス革命の立者《たてもの》であるロベスピエールもダントンもエベールも、斬首台にのぼったときは、いずれも三十五、六であったと記憶する。
 そして、この働きざかりのときにおいて、あるいは人道のために、あるいは事業のために、あるいは恋愛のために、あるいは意気のために、とにかく、自己の生命より重いと信ずるあるもののために、力のかぎり働いて、倒れてのちやまんとすることは、まず死に所を得たもので、その社会・人心に影響・印象するところも、けっしてあさからぬのである。これ、なんびとにとっても、満足すべきときに死ななければ、死にまさる恥があると。げんにわたくしは、その死に所をえなかったために、気の毒な生き恥をさらしている多くの人びとを見るのである。
 一昨年の夏、ロシアより帰国の途中物故した長谷川二葉亭を、朝野こぞって哀悼したころであった。杉村楚人冠は、わたくしにたわむれて、「君も先年アメリカへの往きか返りかに船のなかででも死んだら、えらいもんだったがなァ」といった。彼の言は、戯言《ざれごと》である。けれども、実際わたくしとしては、その当時が死すべきときであったかも知れぬ。死に所をえなかったがために、今のわたくしは、「えらいもんだ」にならないで、「馬鹿なやつだ」「わるいやつだ」になって、生き恥をさらしている。もしこのうえ生きれば、さらに生き恥が大きくなるばかりかも知れぬ。
 故に、短命なる死、不自然なる死ということは、かならずしも嫌悪し、哀弔すべきではない。もし死に、嫌悪し、哀弔すべきものがあるとすれば、それは、多くの不慮の死、覚悟なきの死、安心なき死、諸種の妄執・愛着をたちえぬことからする心中の憂悶や、病気や負傷よりする肉体の痛苦をともなう。いまやわたくしは、これらの条件以外の死をとぐべき運命をうけえたのである。
 天寿をまっとうするのは、今の社会ではなんびとにとっても至難である。そして、もし満足に、幸福に、かつできうべくんば、その人の分相応――わたくしは分外のことを期待せぬ――の社会価値を有して死ぬとすれば、病死も、餓死も、凍死も、溺死も、震死も、轢死も、縊死も、負傷の死も、窒息の死も、自殺も、他殺も、なんの哀弔し、嫌
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