三十余歳の高橋作左衛門の門にはいって測量の学をおさめ、七十歳をこえて、日本全国の測量地図を完成した。趙州和尚は、六十歳から参禅・修業をはじめ、二十年をへてようやく大悟・徹底し、以後四十年間、衆生《しゅじょう》を化度《けど》した。釈尊も、八十歳までのながいあいだ在世されたればこそ、仏日《ぶつじつ》はかくも広大にかがやきわたるのであろう。孔子も、五十にして天命を知り、六十にして耳したがい、七十にして心の欲するところにしたがい矩《のり》をこえず、といった。老いるにしたがって、ますます識高く、徳がすすんだのである。
 このように非凡の健康と精力とを有して、その寿命を人格の琢磨《たくま》と事業の完成とに利用しうる人びとにあっては、長寿はもっとも尊貴にしてかつ幸福であるのは、むろんである。
 しかも、前にいったごとくに、こうした天稟・素質をうけ、こうした境界・運命に遇《あ》いうる者は、今の社会にはまことに千百人中の一人で、他はみな、不自然な夭死を甘受するのほかはない。よしんば偶然にしてその寿命のみをたもちえても、健康と精神力とがこれにともなわないで、ながく困窮・憂苦の境におちいり、みずからたのしまず、世をも益することなく、碌々・昏々として日を送るほどならば、かえって夭死におよばぬではないか。
 けだし、人が老いてますますさかんなのは、むろん例外で、ある齢《よわい》をすぎれば、心身ともにおとろえていくのみである。人びとの遺伝の素質や四囲の境遇の異なるのにしたがって、その年齢は一定しないが、とにかく一度、健康・知識が旺盛の絶頂に達する時代がある。換言すれば、いわゆる、「働きざかり」の時代がある。故に、道徳・知識のようなものにいたっては、ずいぶん高齢にいたるまで、すすんでやまぬのを見るのも多いが、元気・精力を要する事業にいたっては、この「働きざかり」をすぎてはほとんどダメで、いかなる強弩《きょうど》(強力な石矢)もその末は魯縞《ろこう》(うすい布)をうがちえず、壮時の麒麟も、老いてはたいてい駑馬にも劣るようになる。
 力士などは、そのもっともいちじるしい例である。文学・芸術などにいたっても、不朽の傑作といわれるものは、その作家が老熟ののちよりも、かえってまだ大いに名をなしていない時代に多いのである。革命運動などのような、もっとも熱烈な信念と意気と大胆と精力とを要するの事業は、ことに少
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