岩見慶二の室で見た事があります」
岩見と聞くと私も驚いた。岩見! 岩見! あの男がまたこの事件に関係しているのか。私も当時仰々しい表題で書き立てられた岩見事件には少からず興味を覚えて熟読したものである。成る程、それで松本は先刻《さっき》手帳に控えた符号と引較べていたのだ!
私は当時の新聞に掲げられた話|其儘《そのまゝ》を読者にお伝えしよう。
この会社員岩見慶二と名乗る謎の青年の語る所は恁《こ》うであった。
昨年の六月末の或る晴れた日の午後である。彼《かの》岩見は、白の縞ズボンに、黒のアルパカの上衣、麦藁《むぎわら》帽に白靴、ネクタイは無論蝶結びのそれで、丁度当時のどの若い会社員もした様な一分の隙もない服装で、揚々としてふくらんだ胸、そこには本月分の俸給の袋と、もう一封それは今年の夏は多分駄目とあきらめていた思いがけないボーナスの入った袋をしっかり収めて、別に待つ人もない独り者の気易さは、洋服屋の月賦、下宿の女将《おかみ》の立替とを差引いて、尚残るであろう所の金を勘定して、実際は買わないが買いたい処のものを思い浮べながら、一足々々をしっかり踏んで銀座街の飾窓《ショーウィンド》から
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