の間へ這入り、尚も詳しく調べていた。私はその大胆さには全く敬服して仕舞った。
 その中《うち》に夜も白々と明けて来た。
 やがて松本は死体の方の調査がすんだと見えて、奥の間から出て来たが、私が側に居るのに目も呉れず、今度は居間の方を見廻した。私も彼の目を追いながら、いくらか明るくなって来た窓を見廻すと、気のついた事は隅の方の畳が一枚上げられ、床板《ゆかいた》が上げられていた。松本は飛鳥《ひちょう》の様にそこへ飛んで行った。私も思わず彼の後を追った。
 みると床板を上げた辺に一枚の紙片《かみきれ》が落ちて居た。目敏《めばや》くその紙片を見つけた松本は、一寸驚いた様子で、一度拾おうとしたが、急に止めて今度はポケットから手帳を出した。私はそっと彼の横から床の上の紙片を覗《のぞ》き込むと、何だか訳の判らない符号みたいなものが書いてあった。それに彼の手帳を見ると、もう紙片と同じ符号がそこに写されているではないか。
[#紙片の図(fig1429_01.png)入る]
「やあ、あなたでしたか?」私の覗いているのに気のついた松本は、急いで帳面を閉じながら云った。「どうです。火事の方を調べてみようじゃありませんか?」
 私は黙って彼について焼けた方へ歩いた。半焼けの器物が無惨に散らばって、黒焦《くろこげ》の木はプスプスと白い蒸気《いき》を吹いていた。火元は確に台所らしく、放火の跡と思われる様な変った品物は一つも見当らなかった。
「どうです、やはり砂糖が焦げていますね」松本の示したものは、大きな硝子《ガラス》製の壷の上部がとれた底ばかしのもので、底には黒い色をした板状のものが、コビリついていた。私は内心にあの青木の叫び声を聞いて駆けつけた時、「砂糖が焦げたのだなあ」と独言《ひとりごと》を云ったのを、ちゃんと聞いていたこの青年の機敏さに、驚きながら、壷の中のものは砂糖の焦げたのに相違ない事を肯定する外はなかった。
 彼はあたりを綿密に調べ出した。その中に、ポケットから刷毛《はけ》を出して、手帳を裂いた紙の上へ何か床の上から掃き寄せていたが、大事そうにそれを取上げて私に示した。それは紙の上をコロ/\ころがっている数個の白い小さな玉であった。
「水銀ですね」私は云った。
「そうです。多分この中に入っていたのでしょう」彼はそう答えながら、直径二|分《ぶ》位の硝子の管の破片を見せた。
「寒暖計がこわれたのじゃないのですか」私は彼にある優越を感じながら云った。「それとも火の出たのと何か関係があるのですか?」
「寒暖計位で、こんなに水銀は残りませんよ」彼は答えた。「火事に関係があるのかどうかは判りません」
 そうだ、分る筈がないのだ。私はあまりのこの青年の活動に、ついこの人が秘密の鍵を見出したかの様に思ったのだ。
 表の方が騒々しくなって来た。大勢の人がドヤ/\と這入って来た。検事と警官の一行である。
 私と青年記者とは、警官の一人に、当夜の夜警であって、火事の最初の発見者たる青木の叫声で駆けつけたものであると答えた。二人は暫く待って居る様に云われた。
 男の方は年齢四十歳位で、余程格闘したらしい形跡がある。鋭利な刃物――それは現場に遺棄せられた皮|剥《む》き用の小形庖丁に相違なかった。――で左肺を只《たゞ》一突にやられている。女の方は三十二三で床《とこ》から乗り出して子供を抱えようとした所を後方《うしろ》からグサッと一|刺《さし》に之も左肺を貫かれて死んでいる。茶の間と座敷――三人の寝て居た部屋――の境の襖は包丁で滅茶滅茶に切りきざまれていた。枕許の机の上に菓子折と盆があった。盆の中に、寝がけに喰べたらしい林檎《りんご》の皮があった。
 その外に変ったものは例の床《ゆか》の板が上げられている事と、怪しい紙片《かみきれ》が残されている事である。
 訊問が始まった。真先には青木である。
「夜警で交替してからさよう二時を二十分も過ぎていましたかな、宅の方へ帰りますに」青木は云った。「表を廻れば少し遠くなりますから、福島の庭を脱けて私の裏口から入ろうとしますと、台所の天井から赤い火が見えましたのじゃ。それで大声を挙げたのです」
「庭の木戸は開いていたのですか」検事は訊いた。
「夜警の時に、時々庭の中へ入りますでな、木戸は開けてある様にしてあるのです」
「火を見付ける前に見廻りをしたのは何時頃ですか?」
「二時少し前でしたかな、松本君」青木は松本を振り返った。
「そうですね。見廻りがすんで、小屋に帰った時が五分前ですから、この家の前であなたに別れたのは十分前位でしょう」
「この家の前で別れたと云うのはどう云う訳です?」
「いや一緒に見廻りましてな、この前で私は一寸宅へ寄りましたので、松本さんだけが、小屋に帰られたのです」
「矢張庭をぬけましたか?」
「そうです」
「そ
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