てカフス釦を見て茫然としている隙にボーナスの袋を抜いたのです。次に岩見が時計を見て二度|吃驚《びっくり》する暇に、袋の中から金を抜き取ると共に再び彼のポケットに返し、素早く万引した宝石をズボンのポケットに投げ入れて退却したのです。それからあとは彼が刑事に捕まり、番頭までに証明せられる様になったのです。この兇漢が一旦《いったん》自分が罪に陥し入れた岩見を、夜分に又復《また/\》刑事に化《ばけ》るような危険を冒して、岩見を連れ出したのは何のためでしょうか。それは恐らく岩見のあとをつける為めです。もし岩見が何か不正な事をして、盗んだ品を何処《どこ》かに隠しているとしたら、彼が窃盗の嫌疑で捕われ再び放された時に、その隠場所へ心配して見には行かないでしょうか。それが兇賊の目的だったのです。岩見は何を隠していたのでしょう。それはあの有名な事件で紛失した宝石の一つです。商会に入った賊は実に岩見の叫び声のために、一物も得ずに逃げたのです。そして支配人があわてゝ机上の宝石を掴んで金庫に入れる時に、その中の最も価値ある一つの宝石は下へ落ちたのです。
支配人が賊を追って行くと、岩見はその宝石を見つけ、悪心を起し、突差《とっさ》に敷物の下かなんかに秘《かく》した、そうして仮死を粧《よそお》うていたに違いありません。新聞で宝石の紛失を知った賊は、岩見の所為と見たでしょう。そこで兇漢は彼の計画を齟齬《そご》せしめ、あの宝石を奪われたのを知った時、如何《いか》に之を取返そうと誓ったでしょう。無論彼としては出来るだけの捜査をしたに相違ありません。そうしてあの妙な符号はたしかに宝石の隠し場所を示したものであることを、看破したのです。然しそれは単に岩見の心覚えに止《とゞ》まって、或る地点――それは岩見にとっては容易に覚えて居られる地点であり、それから先を暗号によって心覚えにしたのですから、暗号は解けてもその地点は判らないために、どうする事も出来ないのです。そこでかの兇漢は岩見を一旦官憲の手で捕えさせ、そして自分が之を放免すると云う苦肉の方法を選んだのです。然しそれも岩見の品川行きと云う皮肉な行為で駄目になりました。尤もあとで考えれば、岩見の隠し場所は岩見でさえもどうにもならぬ状態にあったのです。
所が兇漢は偶然宝石の在所《ありか》を知りました。それは今回の事件で岩見がある家に忍び込んだと云う事から、宝石はたしかにその家のどこかに隠されていると云う事を知ったのです。それからあとは容易です。長方形の片隅の矢印をした符号は、石段の角を示します。S、S、Eは磁石の南々東《サウスサウスイースト》です。31[#「31」は縦中横]は無論三十一尺、逆の丁字形は直角です。W―15は西《ウェスト》へ十五尺です。即ち石段の角から南々東へ三十一尺の地点から、直角に西の方へ十五尺と云う事です。岩見が宝石を隠した時分には、その土地は空地で石段だけは既に出来ていましたが、一面の草原であった事は、あなたの方がよく御存じです。岩見は万引事件で禁固の刑を受け、宝石を取り出す時機を失している中に、その土地に福島の家が建ちました。そこで彼は出獄すると福島の宅へ目をつけ、機会を待っていましたが、遂に留守番にモルヒネ入《いり》の菓子を送り、麻酔させた上で、ゆっくり宝石を取り出そうと企《たくら》んだのです。そして暴風雨《あらし》を幸い、忍び込んだのです。ところが相手はモルヒネで寝ているどころか、あべこべに斬りつけられる様な目に逢ったのです。床板の上っていたのはそう云うわけで宝石を探そうとしたのです。
所が宝石は如何《どう》したのでしょう。
それは私がたしかに頂戴しました[#「それは私がたしかに頂戴しました」に傍点]。もう既に御気付きと存じますが[#「もう既に御気付きと存じますが」に傍点]、私が××ビルディング白昼強盗の本人です。
お驚きにならないように、尚一つには私の手腕を証拠立てるためと、一つには私の永久の記念のために、あなたの内ポケットに例の琥珀のパイプを入れて置きました。怪しい品ではありません、どうぞ安心してお使い下さい。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](〈新青年〉大正十三年六月発表)
底本:「日本探偵小説全集1 黒岩涙香 小酒井不木 甲賀三郎集」創元推理文庫、東京創元社
1984(昭和59)年12月21日初版
1996(平成8)年8月2日8版
初出:「新青年」
1924(大正13)年6月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「軍備縮小」と「軍備縮少」の混在は、底本通りです。
入力:網迫、土屋隆
校正:小林繁雄
2005年10月31日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書
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