――で、彼はいきおいよく飛びおりた。一瞬ののち彼はむろん街路に血にまみれて即死していた。
この方法はなかなか巧妙である。しかし、静かに考えてみると、最上階と一階のおなじ位置の部屋をかりうけて、これをまったく同一に飾りつけてほかから怪しまれないようにするにはそうとうの困難があり、かつ昏酔している人間を一人かかえて、一階から最上階までだれにもとがめられないで、はこぶことはよういなことではない。そのうえにこの方法の致命的欠陥というのは結果がぜんぜん偶然的で、必然性がないということである。というのは、眼ざめたBが註文どおり狼狽してくれればよいが、もし冷静に観察されると、まず第一に時計のとまっていることを看破せられるであろう。第二に窓をひらいたときに、それが一階でないということをさとられるおそれがある。そしてもっともおそるべきことはいったん看破られたが最後Bの陳述によってAは殺人未遂というのがれられない運命をになうにいたるであろう。
そこでおれは右の方法に一つの改良をほどこした。それはBにたいしてなんら強制力をもちいないことである。強制力をもちいさえしなければ、もしやり損なったさいもなんのとがめをうけずにすむわけである。
×月×日
おれは予定どおり大学をやめた。郊外の研究室の工事も着々すすんでいる。おれははじめ邸内の一部に研究室をたてようとおもった。そのほうがSをたびたび招いたりするのに都合がよいのであるが、いかに巧妙にいっても、人目のおおい市内では、おれの計略を見やぶられるおそれがあるから、不便な郊外をえらぶことにした。
×月×日
とうとう研究室ができた。研究室の秘密については、おれは都合のよい人間をしっていたので、絶対に他に洩れる心配はない。設計施工をやった人間は、研究上必要だと信じているのだ。まさかおれが殺人をする目的で、こんな装置をしたとは思っていない。
×月×日
研究はいよいよ蜘蛛ときめた。はじめは蛇にするつもりだったが、蜘蛛類にも猛毒なものがあるからそれを利用することにした。
×月×日
今日深夜ひそかにテストをしてみた。しごく成績がよい。おれがはじめ心配したのは回転速度だった。いったい吾人は等速運動をしている時に、ほかに比較すべきものがなければぜんぜん意識しないものだ。下等動物のうちには、ほかに比較すべきものがあっても平気なものがある。たとえば蠅のごときものは、はしる馬の背にでもじっととまっている。この蠅の習性はかの蠅取器なるものに利用されている。すなわち静かに回転する木片のうえに蠅の好むものをぬっておくと、蠅はそれにとまる。かれは木片がじょじょに回転して、ついにでることのできない穴倉におとしいれられるまで気がつかないのだ。
しかし、人間がはたして外界に比較すべきもののない場合に等速運動に気がつかないかどうか――真の等速運動なら心配はないが、人為的等速運動において――おれはすこし心配だった。それで回転速度をきわめてすくなくした。人は秒針の運動はよく認識することができる。しかし、秒針の運動でもちょっとみた瞬間にはわからないもので、だから人は懐中時計が動いているかどうかを試すときに、眼によらないで耳によるのを普通としている。
分針の運動にいたってはほとんど認識できないといってよい。もっとも時計のおもてには区画があるから、二三分見つめていると、一つの区画に近づくのでやや運動をみとめることができる。区画がなければほとんどわからないであろう。もしそれ時針の運動にいたっては、ぜんぜん認識することができないであろう。そこでおれは回転速度をおおよそ三時間に一回転としてテストをやってみた。結果はきわめて良好だった。
×月×日
おれはまたプランに一つの改良を加えた。最初の考えではおれはSと二人きりで研究室であおうと思っていた。しかし、二人きりではおれがあるいはSを突落したのではないかという疑いをうけるおそれがある。外部に目撃者をおくとすると、研究室の回転を見破られるおそれがある。そのうえおれは夜あたりにだれもいないとき、かつ窓から外のものがみえないときを選ばなければならぬから、目撃者を外におくわけにはいかない。そこでおれは目撃者を内部におくことにした。この方法は目的どおりSが墜落してから、研究室の移動をさとらしめないことに骨が折れる。しかし、人は異常な出来事のさいには狼狽するものだから、このときには、急激に研究室を原状にもどしても気づかれはしないだろう。
×月×日
とうとう成功した。おれはSをよんでつとめて歓待した。Sは哀れにもいまに死ぬことを知らないで、あいかわらず皮肉をまじえておれを揶揄しながら談笑した。おれはおかしさをかみこらえて、彼に毒蜘蛛の恐るべきことと、最近一匹が逃げだしていまに行方のしれないことを話
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