青服の男
甲賀三郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)二昔《ふたむかし》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)茅《ち》ヶ|崎《さき》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)遺族[#「遺族」は底本では「遣族」]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ポツン/\と
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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          奇怪な死人

 別荘――といっても、二昔《ふたむかし》も以前《まえ》に建てられて、近頃では余り人が住んだらしくない、古めかしい家の中から、一人の百姓女が毬《まり》のように飛出して来た。
「た、大へんだア、旦那さまがオッ死《ち》んでるだア」
 之《これ》が夏なら街路にはもう人の往来《ゆきゝ》もあろうし、こんな叫び声が聞えたら、あすこ、こゝの別荘から忽《たちま》ち多勢の人が飛んで来ようが、今は季節外れの十二月で、殊《こと》にこの別荘地帯は茅《ち》ヶ|崎《さき》でも早く開けた方で、古びた家が広々と庭を取って、ポツン/\と並んでいる上に、どれも之も揃って空家と来ているので、誰一人応ずる者はない。百姓女の叫び声は、徒《いたず》らにシーンとした朝の空気に反響《こだま》するばかりである。
「た、大へんだア、お、小浜《おばま》の旦那がオッ死《ち》んでるだア」
 百姓女が駈け出しながら、二度目にこう叫んだ時に、向うの垣根の端にひょっこり百姓男が現われた。
「お徳《とく》でねえか。ど、どうしただア」
「八《はち》さア」百姓女はホッとしたように息をついて、「お、小浜の旦那が死んでるだアよ」
「ハテね」
 八と呼ばれた百姓男はキョトンとして、
「小浜の旦那はもう大分前にオッ死んだでねえか」
「違うだよ」お徳はもどかしそうに手を振って、
「死んだ旦那の跡取《あととり》の人だアよ」
「ふむ、甥っ子だが、あんでもそんな人が跡さ継《つ》いだと聞いたっけが、跡取ってから一度もこの別荘さ来た事がねえだ。どんな人だか、誰知るものもねえだが」
「その人がね、昨日の朝見えたゞよ」
「不意にかよ」
「ウンニャ、前触れがあってね、掃除さしといて呉《く》れちゅうから俺《おら》、ちゃんとしといたゞ」
「一人で来たのかよ」
「ウン、顔の蒼白《あえ》え若え人でな。年の頃はやっと三十位だんべい。ちょっくら様子のいゝ人だアよ」
「それでお前、オッ惚《ぽ》れたちゅうのかい」
「この人《ふと》は。馬鹿|吐《こ》くでねえ。俺《おら》の年でハア、惚れるのなんのちゅう事があるもンけえ」
「ハヽヽ、怒るでねえ。それからどうしたゞね」
「昼間は家ン中や庭さ歩き廻って、何するでなしにソワ/\してたっけが、夕方になって、俺《おら》頼まれた通り夕飯さ拵《こしら》えて持って行くと、どこにもいねえだ」
「いねえ――どうしたゞね」
「分らねえだよ。兎《と》に角、どの位《くれ》え探してもいねえだ。どこかへ行っちまったゞよ」
「だけども、可笑《おか》しいでねえか。飯さ頼んで置いてよ」
「俺も可笑しいと思ったゞが、いねえものはいねえさ。断りなしに帰《けえ》るとは変な人だと、ちっとばかり腹さ立ったゞよ。だけどよ、不用心だと思って、締りさちゃんとして引上げたゞ。所が八さア。今《い》ンまの先、別荘の前さ通ると、裏口が開いてるでねえかよ。俺《おら》不審に思って庭さ這入《へえ》って見ると、雨戸が一枚こじ開けてあるだ。俺《おら》、大きな声で呼ばったゞ。何の返辞もねえだ。恐々《こわ/″\》中さ這入《へえ》って見ると旦那さアが書斎の籐椅子に腰さ掛けて眠っているでねえか。あれまア、こんな所で転寝《うたゝね》さして、風邪引くでねえかと傍《そば》さ寄ると、俺《おら》もう少しで腰さ抜かす所だったゞ。旦那さアは眠ったようにオッ死《ち》んでるだア」
「そいつは事だゝ。すぐにお医者さア呼ばらなくちゃならねえだ。俺《おら》、町まで一走《ひとはし》りして来《く》べい」
「八さア、頼むからそうして下せえ。俺《おら》、この辺で待ってるだ。俺《おら》、一人であの家へ行くのは、おっかなくて、とても出来ねえだよ」
 お徳は今更のように身顫いしながらいった。


          僕は生きてる

「之アどうする事も出来ない。すっかり縡切《ことき》れている」
 八太郎の急報で飛んで来た町の寺本医師は死体を一眼見ていった。
 それから眼を引っくり返して見たり、聴診器を当てたり、綿密に調べてから、
「狭心症だ。若いのに可哀想に――大分|以前《まえ》から心臓が悪かったらしいな」
「昨日初めて合いましたゞが」お徳はいった。
「蒼い顔さしていましたゞ。だが、こんな事になるなんて、夢にも考えましねえだったゞ」
「兎に角、遺族[#「遺族」は底本では「遣族」]の人に知らせなくちゃならんが、宿所はどこかな」
「二三日前に手紙さ貰いましたゞから、それに書かっているべい」
 一旦家に帰ったお徳は手紙を持ってやって来た、寺本医師はそれを取上げて、
「東京市淀橋区柏木緑荘アパート小浜信造。ハヽア、アパートなんかにおる所を見ると、未《ま》だ独り者らしいな。仮令《たとえ》自分の持家にもせよ、締りを破って這入《はい》って、たった一人で死んでるという事になると、一応駐在所に知らせた方がいゝな」
 寺本医師の指図でお徳は駐在所へ走って、長井巡査を呼んで来た。
「ふゝん」お徳から仔細を聞いて長井巡査はひどく感嘆しながら、「二三日|以前《まえ》に、昨日来るという手紙を寄越して、お前さんがちゃんと掃除して待ってると、約束通りやって来たんだね。そして昼のうちはブラ/\していて、夕方お前さんが頼まれた通り飯を運んで行くと、どこへ行ったのかおらなかったんだね。そして、いつ帰ったか戸締りを破って這入って、籐椅子に凭《もた》れたまゝ狭心症で死んでいた――ふうん」ともう一度感嘆して、「よし直ぐ行く」
 追取刀《おっとりがたな》で駆けつけた長井巡査は寺本医師を見ると、丁寧に礼をして、
「先生、病死に違いありませんかね」
「狭心症に間違いありませんよ」
「いつ頃ですかなア、死んだのは」
「さようさ。今の様子が死後十時間|乃至《ないし》十四、五時間という所ですから、死んだのは昨夕《ゆうべ》の八時から十二時の間でしょうか」
「八時から十二時」と巡査は手帳につけながら、「その間にこゝへ帰って来た訳ですなア」
「帰ってすぐ死んだとするとその通りですな」
「なるほど」と、手帳を訂正しながら、「帰って来たのはその以前《まえ》かも知れませんなア。然し、帰って来たのが十二時以後という事はあり得ない訳ですか」
「まアそういう事です」
「他殺でもなく、又変死でもなく、只《たゞ》の病死だとすると、問題はない訳ですが、念の為に署の方へ報告して置きましょう」
 長井巡査は手帳を閉じてポケットに入れると、さっさと歩いて行った。
 寺本医師も帰り支度をしながら、お徳に、
「この人は伯父さんから別荘を譲られてから、昨日初めてこゝへ来たんだね」
「そうでごぜえますだ。先《せん》の旦那がなくなられますと、すぐ手紙が参《めえ》りまして、儂《わし》はなくなった人の甥っ子だが、別荘さ譲り受ける事になったゞから、前々《めえ/\》通り管理していてくんろっていって来ましたゞ。それからハア、もう二年にもなりますだが、来たのは昨日さ初めてゞごぜえますだ」
「初めて別荘に来て、すぐ死ぬとは気の毒な人だねえ」
「全くでごぜえますだ」
 お徳がそういって相槌を打った時に、お徳の亭主の竹谷義作《たけやぎさく》が紙片《かみきれ》のようなものを手にして、頭をふり/\やって来た。何とも訳が分らぬという顔つきだった。彼はお徳を見ると叫んだ。
「オイ、お徳よ。俺《おら》ア、丸で狐に撮《つま》まれたようだよ」
 そういって手にした紙片を出したが、それは電報だった。
「どうしたゞかよ」
 お徳は何か恐いものでも取るように、オズ/\と電報を受取ったが、すぐ大きな声を出した。
「ひゃア、こ、これは、あんちゅう事だ」
 寺本医師が電報を覗き込むと、
[#天から2字下げ]ナニノマチガイカ オバマシンゾウハイキテイル ヨクシラベコウ
「うむ」寺本医師は唸《うな》った。「じゃ、この死んでいる男は小浜信造じゃないのだな。之《これ》アいよいよ警察の仕事になって来たわい」


          鳶《とび》色の洋服

 所轄警察署から小浜信造宛に、
[#天から2字下げ]スグオイデコウ
 という電報が打たれた。
 午後二時過ぎ小浜信造はやって来た。色の蒼白い三十そこ/\の華奢《きゃしゃ》な青年だった。
 一旦警察署に出頭した信造は、司法主任以下に連れられて、現場の別荘に着いたが、お徳は信造を見ると、卒倒するほど驚きながら叫んだ。
「あれまア、旦那さま」
「あゝ、お徳さん」信造は馴々《なれ/\》しくいった。
「昨日はどうも失敬したよ。夕方に急に思い出した事があったので、黙って東京へ帰って終《しま》って――」
 司法主任の榎戸《えのきど》警部は信造に向って、意外という風に、
「じゃ、あなたは昨日こゝへいらしたのですね」
「えゝ」今度は信造の方で不審そうに、「お徳さんからお聞きにならなかったのですか」
「聞きました。然し、その人間が死んだ人間と同じ人間だと思っていましたので――」
「御冗談です。僕は死にやしません。こうやって生きてますよ」
「ふむ」流石《さすが》の警部も狐に撮《つま》まれたような顔をしながら、「兎に角、屍体を見て下さい」
 信造は屍体を一眼見ると叫んだ。
「あゝ、卓一だ」
「え、ご存じの方ですか」司法主任は反問した。
「えゝ、知ってますとも、従兄弟《いとこ》です。もしかしたらそうじゃないかと思っていたんですが。あゝ、卓一君、可哀想に――こ、こんな有様で死ぬとは――」
「ふむ、従兄弟ですか」榎戸警部は信造と死者とを見比べながら、「実によく似ている。従兄弟とはいいながら実によく似てますなア。然しこの人はどういう訳でこんな所へ来たのでしょうか」
「それについて心当りがあります。実は僕は卓一君と昨日こゝで会う約束があったのです。尤もそれは僕の方からいい出したのではなく、卓一君の方で至急に秘密で会いたいといって来たので、秘密の用ならこゝがいゝだろうといってやりました。卓一君からは折返して、では金曜日の午後――つまり昨日の午後ですね、別荘の方に行くからという手紙が来ました」と、信造はポケットを探ぐって、クチャ/\になった手紙を取り出して、「之です。この通り、金曜日の午後行くと書いてありましょう。それで僕は管理人の竹谷さんの所に手紙を書いて、別荘を掃除して置いて貰って、昨日朝からやって来たんですが、卓一君は午後になっても姿を見せず、僕は元来気短かで待たされるのは何よりも苦痛なんですが、一生懸命に辛抱して夕方までいました。然し、夕方にはもう耐《たま》らなくなって、大体向うから会いたいといって置きながら、約束を守らないとは人を馬鹿にするにも程があると、腹が立って、むしゃくしゃして、とうとうお徳さんにも断らず、ここを飛び出して、東京へ帰って終ったのです」
「なるほど、その後で卓一君は来た訳ですか」警部はうなずきながら、「その秘密の用件というのはどういう事でしょうか。お差支えなくば――」
「多分金の事だろうと思います。卓一君はちょい/\金の相談を持ちかけましたので――大方何かいゝ事業があるから投資しろとか何とかいう事でしょう」
「なるほど、ではあなたは之までに卓一君の勧めで、時々投資なすったという訳ですか」
「いゝえ」信造は飛んでもないという風に首を振って、「卓一君の事業と来ちゃ、お話にならない事ばかりでしてね、帽子の中に畳み込みの傘を入れて置いて、イザ雨という時にボタンを一つ押すと、パッと拡がるという発明だとか、靴の下に車をつけて、背中に蓄電池を背負っていて、小さいモーターで廻す発明だとか、そうかと思うと、海の水から金《きん》を採るとか、日本中の猫を買い占めるとか――」
「な
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