いゝんですが、今度は宅の自動車に乗せて行けといって諾《き》かないんです。汽車で行きなさいといったら、汽車なんかのろ臭くって駄目だってね。なアに、よく聞いて見りゃ、汽車賃がないんですよ。宅も卓一さんにはちょく/\借りられて弱っていますので、汽車賃を用達《ようだ》てるのは嫌だしといって商売物の車に乗せるのも嫌だったんですが、卓一さんと来ると口が旨いですからね。今度は必ず成功する、信造から纏《まとま》った金が取出せるから、その時にはウンとお礼をする。この機会を逃して後で後悔したって僕ア知らんよ、なんて拝んだり威《おど》したりして、とうとう宅を渋々承知させたんです」
(そうか、やっぱり卓一は自動車で来たんだな、之で足取がはっきりした)と望月刑事は思いながら、
「自動車で出かけたのは何時頃でしたか」
「そうですね、九時頃でしたろうか。何でも向うへ着いたのが、十一時過ぎとかいってましたっけ」
「こちらの御主人はすぐ引返したんですね」
「えゝ、所がね、向うへ行って、卓一さんが又駄々を捏《こ》ねましてね」おかみはしようがないという風に顔をしかめながら、「茅ヶ崎の駅近くに来ると、卓一さんはこゝでいゝ、後は歩くというんですって。どうせ来た序《つい》でだし、もう少しの事だから、家まで送ろうというと、いや、ひょっと信造が待ってると、自動車の音が分るし、自動車に乗って来たなんて事が分ると、奴の機嫌を損じるから、汽車で来た心算《つもり》でこゝから歩くって、諾《き》かないんですって。そこで宅は別荘の大分手前で車を停めて、卓一さんを下して、そのまゝ引返して来たんです。卓一さんはその時は別に胸が苦しいような様子だったとは聞かなかったのですが」
 之ですべては明瞭になった。もう之以上は訊くべき事もないと思ったので、刑事は腰を上げた。
「どうも、お邪魔しました」
「宅が帰り次第、お手伝いに参りますからって、信造さんに宜しく仰有《おっしゃ》って下さい」
 喋《しゃべ》り疲れたか、おかみはホッとしたようにいった。


          夜店の連珠

「なるほど、それじゃ問題にならんね」
 望月刑事の報告を聞いた榎戸警部は煙草の灰を叩き落しながらいった。
「えゝ、どうも犯罪はないらしいですよ。卓一の死因が病死だとするとね」
「念の為再検視をしたが、全く狭心症の為と判明した。だから、殺人事件では絶対にない。それに之が逆に信造が死んだのだとすると、卓一が財産を相続する事になって、多少の疑惑を生ずるが、卓一が死んだのじァね。何だろう、卓一の遺産なんてものはないんだろう」
「遺産どころか借金が残っていますよ。遺恨か何かなら知らず、金の為に卓一を殺す者はないでしょう」
「第一病死じゃ問題にならん。然し、卓一は何だって、人のいない別荘へ戸締を破って這入ったんだろうね」
「そこが一寸不審に思われるんですが、何しろ卓一という男は、他人《ひと》のものと自分のものを区別しないというような男で、何事も行き当りばったり、気分の動くまゝにやるという人間ですから、他人といっても信造の別荘ですし、締り位破って這入るのは平気だろうと思います。それに考えて見れば、奴ア帰りの汽車賃がないんだから、信造のいるいないに係らず、あそこへ泊るよりなかったでしょう。翌日は信造なり、永辻なりへ電報を打って、金を送らせる心算《つもり》だったのでしょう」
「自動車で長距離を揺られて、それから若干歩いた上に、戸締りを破ったり、過激な運動をしたものだから、持病の心臓で参ったという訳か」
「そうでしょうね。兎に角、信造のいう事と、アパートの管理人や、永辻のおかみのいう事がピッタリ会いますから」
「えゝと、信造は金曜日の朝、茅ヶ崎へ行くといってアパートを出たんだね。その目的ははっきりしないが、別荘で従兄弟の卓一に会う為らしいと管理人はいうんだね。それから、その夜九時から十時の間に信造は待呆けを食わされたといって、プン/\怒りながらアパートに帰って来た。一方、卓一は当日朝から出かけて、夕方帰って来て、急に信造との約束を思い出して、永辻にむりやりに自動車に乗せて貰って、茅ヶ崎に向った。信造らしい青年が三度茅ヶ崎駅から乗降したのは確実で、一方卓一らしき青年は一回も乗降しておらん。怪しい点は一つもないな」
「只一つ分らない点は、信造が八時頃東京に着いて、アパートに帰るまで何をしていたかという点ですが」
「そいつア別に大した問題でもあるまい。信造に聞けばいうだろうし――別に聞くにも及ぶまいて」

 とこういう訳で、この事件はそのまゝになって終った。
 それから四ヶ月ほど経って、急にポカ/\と暖くなった春の宵、望月刑事は別の事件で上京して、渋谷の道玄坂の通りを歩いていた。
 ふと見ると、例の大きな盤を置いた連珠屋を取巻いて多勢の見物が群がっている。望月刑事は何気なくそこを通り過ぎようとして、見物の中に一人の男を発見して、急に立止った。ゾロリとした着流しで、帯の間に両手を挟んでニヤリ/\しながら盤に見入っているのは、疑いもなく小浜信造だった。刑事は一寸声を掛けようかと思ったが、相手が迷惑するといけないと思って止めて、その代りに信造と盤とを見比べながら様子を眺めていた。
 大きな碁盤には例の通り、黒と白の木で作った碁石《いし》代りのものが、二三十並んでいる。黒はどこへ打っても、すぐ四三か四々が出来て勝てそうだ。所が白に旨い手があって、先に五が出来て止るようになっている。二手《ふたて》目に黒の勝にならなければ、三十銭なり五十銭なり出して、薄ぺらな五六銭にも値いしないようなパンフレットを買わなければならないのだ。
 連珠屋はうるさいほど喋りながら、しきりに客に勧誘する。見る/\二三人の人が手を出して、必勝だと確信していたのがみんな外れて意外な顔をしながら、金を払った。
 刑事は世の中は広いものだ、よくこんな軽率な人の種の尽きないものだと思いながら、もう興味がなくなったので、そこを離れようとすると、信造が声を出した。
「一つやって見ようか」
「へえ、どうぞ」
 連珠屋は鴨が来たとばかり、手にした木製の黒石を信造に渡した。
 パチリ。
 信造の打った所は急所らしかった。
 連珠屋はうむと唸って、じっと盤面を見つめたが、パチリと白を下した。
 パチリ、二つ目の黒石で、見事に四々が出来た。
「旦那、大した腕ですなア」
 連珠屋は渋面《じゅうめん》を作りながら、信造を賞讚した。
 信造は得意そうにニヤリと笑って、そのまゝ列を離れて、さっさと行こうとした。
 と、この時に、咄嗟に望月刑事の頭に閃めいたものがあった。
 刑事は自分の考えにぎょっとしながら、早足に信造を追って、背後《うしろ》から、
「北田さん、卓一さん」と呼んだ。
 信造はぎょっとして振り返ったが、ジロリと刑事の顔を見ると、そのまゝ行こうとした。
「もし/\、北田さん」と刑事は追|縋《すが》った。
「人違いだ」
 信造はそういって、ドン/\行こうとする。
「待って下さい。待てといったら待たないか」
 刑事のきっとした声に、思わず立止った信造の耳に、望月刑事は低声《こゞえ》でいった。
「信造だなんて胡魔化しても駄目だぞ。お前は北田卓一だ。一緒に来い。指紋を取って調べるから」
 と、信造は見る/\額に膏汗《あぶらあせ》を流して、フラ/\と刑事の肩に凭《もた》れかゝった。


          三つの理由

「死んだのはやっぱり信造だったんですよ」
 望月刑事は司法主任の榎戸警部に稍々《やゝ》得意そうに話していた。
 警部は感嘆したように、
「一杯食わされていたのか。然し、君はよく発見したね」
「偶然、全く偶然でした。渋谷の道玄坂で、ふと信造を見かけたのですが、奴がむつかしい連珠の問題を訳なく解いたので、ハッと気がついたのです。何しろ、信造という男は人嫌いの変り者で勝負事なんか一切やらない筈なんです。それに反して、卓一は何にでも手を出す男で、事件の起った時も連珠に凝っていたといいます。――信造が連珠! 可笑しいなと思った途端に、ふと思い出したのは先達《せんだって》の信造の態度でした。交際嫌いの変り者だというのに、実によくペラ/\とよく喋りました。その時はつい気がつかないで見過していたのですが、急にその事が頭に閃めいて――」
「然し、それだけでは十分じゃない――」
「えゝ、ですから試みに卓一と呼んで見ると、ぎょっとしたようでしたから、隙《す》かさず指紋を取るぞと威かすと、奴は背後《うしろ》めたい事があるので、忽《たちま》ち顔色を変えて、フラ/\と倒れかゝりました。後は何の苦もなくスラ/\と白状しましたので」
「大した手柄だ」
「お賞めに与《あずか》って恐縮です。奴の白状した所によると、つまりこうなんです。信造と茅ヶ崎の別荘で会おうと約束したのもその通りで、信造が別荘に行って待呆けを食って、むしゃくしゃして、夕方に別荘を飛び出したのも、やはりその通りなんです。六時三分の上り列車に乗ったのは、正真|紛《まが》いなしの信造だったんです。それから先が違うので――立腹した信造はその足で直ぐ蒲田の永辻の家へ行って、居合した卓一を詰《なじ》ったのです。所が二言三言いっているうちに、信造の顔色が変って、そのまゝそこへ斃《たお》れて終ったんです。信造は以前から心臓が弱くて、いつ狭心症を起すか知れない状態だったんです。無闇に腹を立てゝ、汽車から降りると、空腹《すきはら》のまゝ永辻の家へ駆けつけたりしたのが悪かったんでしょうね。
 思いがけなく信造が死んだので、卓一も永辻夫婦も驚きましたが、こゝで三人は相談をして、卓一が死んだ事にして、卓一が信造になろうと決めました。卓一と信造とは元々よく似ていましたから、別荘の方を胡魔化すのは何でもありません。むつかしいのはアパートの方ですが、之も管理人に一寸顔を合すだけですから、どうにかやれると考えたのです。之が無口で交際嫌いの信造の方が、お喋べりの交際の広い卓一に代るのですと、到底出来ませんが、逆に交際の殆どない信造の方に化けるのですから、比較的優しい訳です。
 之から先はもう何でもない事で、卓一の洋服を着せた信造の屍体を積んで、永辻は茅ヶ崎の別荘へ行き、卓一は洋服を取替えて、信造に成り澄して、アパートへ帰りました。永辻は別荘が戸締りがしてあったので、仕方がなく戸締りを破りましたが、卓一の不断のやり方から反って卓一らしいと見られた訳です」
「なるほど、よく分ったが」警部は一寸眉をひそめながら、「一体何の為に卓一は信造になる必要があったのかね。そんなことをしなくっても、信造の財産はそっくり卓一のものになる訳じゃないかね」
「そこですよ。主任。えーと、相続税というものはどれ位かゝるんですか」
「信造の財産はどれ位あったかね」
「五六十万でしょう」
「直系の親族でないものゝ遺産相続だから、二割位かね。なるほど、それが惜しかったのか」
「未だ理由があります。卓一は俺が信造の財産を相続すれば、いくらでも金を出してやると方々に約束していましたので――」
「なるほど」警部は笑って、「他人《ひと》の金だった時分には、いくらでも気前よく約束出来たが、自分のものになって見ると、惜しいか。ハヽヽヽ、人情の然らしむる所だね」
「卓一はそう易々《やす/\》と信造の遺産が手に這入《はい》ると思っていなかったので――信造が結婚すればそれっきりですからね。ですから、手軽に方々約束したんですが、思いがけなく遺産が[#「遺産が」は底本では「遣産が」]手に這入って、そういう連中に押かけられては事ですから、永辻を買収して、信造になって終ったという訳で、永辻は卓一の遠縁に当って、欲もあるが義理もあって、引受けたんです。それからもう一つ、卓一がいうんですが、今までの自分というものに愛想が尽きたので、之を機会に信造に化《な》って、無口で真面目な人間に更生しようと考えた、とこういうんです」
「兎に角、一寸犯罪史に類のない犯罪だね、結局の所殺人ではなし」と、警部は考えながら、「相続税の脱税と、身分詐称かね、それから
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