然血の繋りがなく、従って伯父の財産はそっくり僕が継いだんです。所が僕は全くの独りぼっちで、全然係累がありませんから、今の所、僕の相続人は卓一君で、僕が死ねば僕の財産はそっくり卓一君のものになるんですが、先に死んで終《しま》って――」
「俺《おら》ハア」とお徳が口を出した。「こゝにオッ死《ち》んでる人が、昨日昼来た人だとばかり思っていたゞよ」
「並べて比べて見ると、違った所があるんだがね」信造はお徳にいった。「初めての人ではそう思うのも無理はないよ。だが、お徳さん、洋服が違ってやしないか。どうだね、僕の洋服に覚えがないかね」
 お徳はじっと信造の洋服を見つめていたが、
「そうだ、思い出したゞよ。確かに旦那さまに違えねえだ。昨日の昼ござらしたのはお前《めえ》さまだよ。確かに今着てござらっしゃる鳶色の洋服だよ。そういえば、そこに死んでござらっしゃる人の洋服は青いだゝ。俺《おら》ハア、あんで洋服にさ気イつかなかったべい」
「そりゃ、君誰だって、こんな所に人の死んでるのを見たら、そこまでは気がつかんさ。無理もないよ」
「全く俺《おら》ア、小浜の旦那がオッ死《ち》んでるだと思ったゞよ」
「いや、どうも」警部は軽く頭を下げて、「もう警察の問題ではありません。ではどうぞ。後片づけをお願いいたします」
 やがて警察の一行は引上げて行った。


          二人の足取

 警察署へ帰ると、榎戸警部は一行のうちに交っていた望月刑事を呼んだ。
「今日の事件は大体に於て怪しむべき点はないようだ。あの小浜信造という青年の説明した所によると、死んでいた北田卓一という青年は突飛な性格の持主らしく、夜中に友達の家に押しかけて、戸締りを破って這入るなどという事を平気でやる男らしい。死因も全く病気という事だし、之以上突つく必要もないと思うが、尚《なお》君、念の為、昨日と今日の信造と卓一の足取りを洗って見て呉《く》れ給え。当の信造にはもう何事もないようにいって安心を与えて置いたから、仕事はやりいゝだろうと思う」
 望月刑事は命を受けて、先ず第一に茅ヶ崎の駅に出かけた。夏ならば兎に角、十二月という月では乗降客も少いので、駅員が覚えてはいないかと思ったのだった。
 果して駅員は覚えていた。
 昨日の朝十時三十三分着の下り列車で、鳶色の服を着た信造らしい青年が下車した。それから同日の午後六時三分発上り列車の発車間際に、やはり鳶色の服を着た信造らしい青年が駆けつけて来て、アタフタと乗り込んだ。何だかひどく不機嫌で、切符売場で一寸駅員といいやったりしたという事である。それから今日の午後二時九分で、同じ服装をした青年が下車した。と、之だけの事で、昨日以来の小浜信造の足取ははっきりした。
 所が、青色の服を着た北田卓一の事はさっぱり分らなかった。午後六時までは確実に彼は別荘に来なかったから、六時以後、終列車までに来なければならない筈である。午後六時六分着から午前零時三十四分着まで、合計九本の列車があるが、どの列車からも卓一らしい青年は下車しなかった。もしかしたら、乗越すとか、又は熱海にでも行っていて引返して来るという事もあるから、上り列車についても調べて見たが、やはり全然手係りはなかった。鳶色服の信造の事については駅員がよく覚えていて、同じような青色服の青年を看過《みすご》すとは考えられない。そうすると、卓一は汽車で来たのではないという事になる。汽車でなければ自動車である。
 望月刑事は更に藤沢平塚間の乗合自動車《バス》について調べて見た。冬期で回数も少く、定員が少い上に乗客は定員以下であるから、車掌は殆ど乗客を暗記している。所が、卓一らしい青年は乗っていなかった。
 卓一が茅ヶ崎の別荘にやって来た唯一の乗物は乗用自動車《ハイヤー》である。
 望月刑事は首を捻《ひね》りながら、その日の夕刻東京に着いた。先ず第一に訪ねたのは小浜信造のいるアパート緑荘である。緑荘は鉄筋コンクリートの宏壮なアパートだった。信造は茅ヶ崎にいて留守なのは分り切っているが、彼は信造の友人と称して、アパートの管理人に訊いた。
「小浜さん、いますか」
 管理人は首を振って、
「留守ですよ。茅ヶ崎の別荘へ行きました」
「え」望月刑事は態《わざ》と驚いて、「小浜さん、別荘を持ってるのかなア」
「小浜さんはどうして中々金持なんですよ。二年|以前《まえ》に伯父さんの遺産を貰ってね、何でも何十万という事ですよ」
「何十万! そいつア初耳だ。そんな金持の癖にアパートに独り住居してるんですか」
「変ってますからね。厭人病《えんじんびょう》っていうんだそうで。交際が嫌いでね。こゝにいても殆んど訪ねて来る人はありませんよ。あなたはどなたですか」
「望月といいます。つい近頃お知合になったのでして。茅ヶ崎へは何の用で行かれた
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