真珠塔の秘密
甲賀三郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)漸《ようや》く

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)東洋真珠商会主|下村豊造《しもむらとよぞう》

[#]:入力者注 主に外字の注記や傍点の位置の指定
(例)[#地付き](一九二三年八月号)
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        一

 長い陰気な梅雨が漸《ようや》く明けた頃、そこにはもう酷《きび》しい暑さが待ち設けて居て、流石《さすが》都大路も暫《しばら》くは人通りの杜絶える真昼の静けさから、豆腐屋のラッパを合図に次第《しだい》に都の騒がしさに帰る夕暮時、夕立の様な喧《やかま》しい蝉の声を浴びながら上野《うえの》の森を越えて、私は久し振りに桜木町《さくらぎちょう》の住居に友人の橋本敏《はしもとびん》を訪ねた。親しい間とて案内も乞わずにすぐ彼の書斎兼応接室の扉《ドアー》を叩いて中へ入ると、机に向って何か考えて居たらしい彼は入口へ首を捻《ね》じ向けながら、
「やあ、君か。久し振りだね。まあ掛け給え」
「昼間は暑くてとても出られないからね。上野の森は然《しか》し悪くはないね」
「上野と云《い》えば君、今度の展覧会の真珠塔だがね」友は扇風器を私の方へ向けながら、「何か変った事を聞かないかい」
「イヤ。いろいろ評判は聞くが変った事は聞かないね。何か事件でも起ったのかね」
 友は黙って数葉の名刺を私に渡した。一枚は警視庁の高田《たかだ》警部の名刺で、「東洋真珠商会主|下村豊造《しもむらとよぞう》氏貴下に御依頼の件あり参上仕るべく何分|宜《よろ》しく願上候《ねがいあげそうろう》」と書いてあり、一枚は東洋真珠商会主下村豊造氏の名刺で、一枚は同製作部主任|佐瀬龍之助《させりゅうのすけ》と書かれて居た。
「この二人が少し前に会いに来たそうだ」友は私の見終るのを俟《ま》って云った。「恰度《ちょうど》僕が留守だったので後程伺うと云い置いて帰ったそうだよ」
 先年東京に××博覧会が開かれた時、其《そ》の一館に有名なるM真珠店が数十万円と銘打って、一基の真珠塔を出陳して世人を驚かした事は、尚諸君の記憶に新《あらた》なる所であろう。所が本月より×××省主催の美術工芸品展覧会が、上野竹の台に開催せらるると、近来M真珠店に対抗して漸く頭角を現わして来た東洋真珠商会は、先年のM商店の出品物を遥《はるか》に凌駕《りょうが》する壮麗な真珠塔を出陳したのである。諸君も既《すで》に御承知の事と思うが、私の見た所では塔の高さは約三尺|彼《か》の大和薬師寺《やまとやくしじ》の東塔を模したと云われ、三重であるが所謂《いわゆる》裳階を有するので、一寸《ちょっと》見ると六階に見える。各階|尽《ことごと》く見事な真珠よりなり、殊《こと》に正面の階《きざはし》を登って塔内に入らんとする所に嵌《は》められているものは、大きさと云い形といい光沢《つや》と云い世界にも又あるまじき逸品で、価格三十八万円と云うのも成程と思われる。展覧会開催以来新聞は随分此記事で賑《にぎ》わされたので、ある新聞によると、東洋商会はM商店の製作部の腕利《うできき》の技師を買収して、此の真珠塔を造らしめたのだと云い、ある新聞によると、その技師は不都合の廉《かど》があって、M商店を放逐《ほうちく》せられたのであると云う事であった。私は新聞で知り得た事を、知れる限り友人に話した。折柄|呼鈴《ベル》が激しく鳴って、書生が二人の紳士を伴って入って来た。
「私が橋本です」友は立ち上って云った。「こちらは私の友人の岡田《おかだ》君です」
「申し遅れまして」と五十|恰好《かっこう》の赤顔にでっぷりと肥《ふと》った紳士は丁寧に礼をしながら、「私は下村でございます」
「私は佐瀬でございます」三十を少し越したかと思われる頭髪を綺麗に別《わ》けた、色白の背の高い紳士は云った。友は椅子をすすめながら、
「どうも暑くなりまして。……して御要件は」
「それがその、ええちと他聞を憚《はばか》る事でございまして」商会主は汗を拭きながら云った。
「その点は御心配に及びません。岡田君はいつも私と一緒に働いて呉《く》れる人で、私同様と御思い下さって差支えありません」
「さようでございますか」と商会主は漸く落ち着いて、「実は何でございます。今回私共が×××省御主催の展覧会に出品いたして居りまする真珠塔につきまして、誠に不思議な事が起りましたので、早速警視庁へ御相談に来《あが》りました所、あちらではそう云う事は却って貴君《あなた》に御願い申すがよかろうと云う事で、甚《はなは》だ御迷惑ながら御依頼に上った次第でございます。新聞ではいろいろに申しますが、別に私共はM商店に対抗して立つのどうのと云う事はございませんが、私は元来こう云う事が好きでございまして、東洋独特の工芸
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