見る必要がある。
 現在乗った覚えのある電車を、当時開通していなかったと云って見た所で、直ぐ分る事だから、支倉が電車がなかった筈だと云い立てた事は、全く記憶を喪失していたと見るのが妥当で、同時に殺人罪を犯した日の出来事を記憶していない筈はないと云うのも当を得た議論だ。とするとこの矛盾をどう解決するかと云うと、殺人罪は犯したかも知れんが、清正公《せいしょうこう》前から電車に乗ったのは嘘ではないかと思える。
 一体犯人は大体罪を隠そうと思っているのだから、突っ込まれると苦しまぎれにいろ/\の答弁をする。もと/\嘘で固めたのだから、前後撞着矛盾を生じるから、益※[#二の字点、1−2−22]突っ込まれる。終に恐れ入るのだが、この際根本の犯罪は自白しても、そこまでに行く道程のうちの或る部分には嘘がそのまゝ残っている事が充分あり得る。
 支倉の場合はこれでつまり貞を殺した日にどう云う風に彼女を引廻したかと云う事を追求されて、苦しまぎれに述べ立てた事が、いよ/\殺人を自白した後に、そのまゝ訂正せられずに残ったのではなかろうか。
 もし支倉が真の殺人罪を犯していないのなら、こんな曖昧な事でなくもっと有力な反証が挙げられそうなもので、電車があったとかなかったとか云う事で小股を掬う必要もなく、又電車があったからと云って、忽ち致命傷がペシャンコになる筈もない。実際電車に乗らないものなら、もっと堂々と争うが好い。
 所が支倉の論じようとしているのは、当日|清正公《せいしょうこう》前から電車に乗ったか乗らぬと云う問題でなく、人を殺したか殺さぬかと云う問題である。即ち彼は当日電車に乗らなかったと云う事で殺人を否定しようとしている。之はいけない。電車に乗らなくても、つまり電車に乗ったと云う自白が嘘であっても、殺人をやらないと云う直接証拠がなければ、電車問題は要するに枝葉末節だ。彼はこんな枝葉末節からかゝってはいけない。人は能く根本の議論で勝てないと思うと、枝葉末節の方をほじり出して、対手を陥れようとする。
 支倉の思いつきもそんな所らしいが、これは確かに彼の失敗だった。けれどもどうも電車に乗らなかったと云う支倉の申立ては本当らしいと思えるのだ。
 電車問題で敗れると、支倉はいよ/\本性を現わした。

 予審判事の鋭い訊問に尽く窮地に陥った支倉はいよ/\本性を現わした。それは彼の第三の上願書を読めばよく分る。
 順序として第二の上願書の事から始めよう。
 第二の上願書は鳥渡述べた通り半紙五枚に細々認めたもので、先に引用したように、
「――電車開通しありとは意外、まるで夢のようです」
 と言う言葉から始まっている。彼の筆蹟は中々達者なもので、誤字脱字等は甚だ稀で、書消した跡も殆どないのは、彼の教養の程度が伺われる。
[#ここから2字下げ]
「――神楽坂署で七日七夜刑事交代苛酷なる責折檻に遇い、殺害し居らざるものを殺害したと虚偽の事さえも真実らしく申立、裁判所へ送られ虎口を逃れ一安心と思いしは一生の誤り、電車は自分に取って致命傷にや。それもこれも尾島氏に余り面倒見て貰い過ぎ、聖書会社へ迷惑を掛けました神より自分に降した相当の責罰には、自分は今度冤罪の下に斃れなければならぬ道行《みちゆき》となりましたものと思います。然し其日は実際電車に清正公前より乗っておりません。赤坂へも行っていません。新宿の川安《かわやす》に行き天どんも喰べて居りません。自分は実際殺害しては居りません。自分は殺害する位なら自分の軒場下とも云うべき近所へ連れ出し殺害するような事はいたしません。其日自分は仮りに新宿に行きしとしまするや、殺害する位なら新宿にも川や井戸は沢山あります。なんのために自分は同人を殺害しなければならぬ理由ありましょうか。神戸牧師仲介の労を取り事済みとなりましたものを、自分は常に六法全書を膝元へ備えて居りました。死刑又は無期そのような大罪を犯すような事は、いたしません。京都監獄放免後八年間在京いたし荊妻《けいさい》と三越にも松屋にも行きました。盗みや万引した事はありません。聖書会社から聖書を持出したのは日本人支配人尾島氏の許容を得たものですから引出したと云う訳、今こんな身に成ると思いますなら引出すのではありませんでした。自分は前科四犯もあることですから、常に高輪警察署より注意人物として目されてある事も自分は承知して居りました。罹災の際には二度も同署に呼出され、其当時の状況始末書を取られて居ります。其当時身に一寸も暗い事はありませんから、警察から呼出されましても平気で出頭したものであります。身に殺人犯放火犯の覚えがあるなら呼出状に接しましても出頭して居りません。
 恐入りますが赤坂順天堂病院へも高町病院へも同日は訪ねて居りません。よく御取調べを願いとう存じます。神楽坂署にて申立てた件は第一の聴取書をのぞく外満足なのは少しもありません。同日は明治学院より三一神学校を経浅草へ行き花屋敷に入り、米久《よねきゅう》牛肉店にて夕飯を食し、帰宅したのであります。
 神戸牧師仲介の下に事済みとなりしものを、自分にして病院へ伴れ行くいわれありません。仲介者が俗に云うゴロツキならいざ知らず、立派な牧師が立会い事済みとなりしものを、誰が考えましても後から又金をゆすられる心配ありましょうか、ありません、荊妻もその一切を承知して居るものに自分は荊妻に申訳ないからとて同人を殺す、そのような事を気狂いならいざ知らず、自分はいたしません、自分には出来ないのであります。
 人生無常年齢十代で死す者もありますれば、二十代で逝く者もあります。自分は五十を余すこと六ツ、命を惜しみはいたしません、然し冤罪の下に悪名を帯び斃れる事を嘆くものであります。神楽坂署で申立ての土方を頼み放火させた覚えありません。自分も又放火した覚えもありません。
 英邁賢明なる判官閣下、事件の前後に付き御判断なし下され自分の犯してあらざる事、御証明いただき度し」
[#ここで字下げ終わり]
 以上が上願書の論文である。

 六月四日に古我判事の手許に差出した支倉の上願書は昨日掲げた通り、頗る哀調に充ちて、所謂哀訴嘆願と云う風であるが、越えて六月十七日及追加として十九日に出した上願書なるものはガラリと態度が変って、こゝに初めて彼は神楽坂署の拷問を訴え出した。事がならないと見るとガラリ/\と態度を変えるのが支倉の悪い癖だ。その為に通るべき筋道の事でも通らなくなる恐れを生じるのは彼の為に惜むべき事だ。例えばこゝに持出した拷問事件でも、彼が予審廷に引出されると同時に申立てれば好かったものを、古我判事が苦心調査に当って、正に二ヵ月を経過した今日に俄然そんな事を云い出しても既に遅い。のみならず、その二ヵ月の間に於ても度々申立てを変更したり、電車はなかった筈だなどと云った。自白の事実を否認しようかとかゝって失敗したりした後だから、いよ/\彼に不利なのだ。
 けれどもこの拷問云々の上願書は今後彼が大正十三年六月十九日第二審の判決に先だって、獄中に庄司署長に対して恐ろしい呪いの言葉を吐きかけながら縊死を遂げるまで、約八年の長きに亘って、繰り返し述べ立てた所で、長き獄中生活と、その孤独地獄の苦艱から逃れる為に五体のあらゆる部分から、必死の力を絞り出し、苦痛は呪いを生み、呪いは悪を生み、悪は更に悪を呼んで、生きながら悪の権化と化し、世を呪い人を罵り蒼白な顔に爛々たる眼を輝かし、大声疾呼して見る人をして慄然たらしめたと云う、世にも稀な世にも恐ろしい彼の半生の出発点ともなったものであるから、こゝにその概略を掲出して、断罪の項を終ろうと思う。
 この上願書は半紙に凡そ二十二枚、いと細々《こま/″\》と認めたもので、彼の精力と記憶力の旺盛な事と、底の知れない執拗さとを歴然として示している。
 表紙に一枚別の半紙がついていて、それには筆太に、「上願書」と書し、その傍に稍細い字で「一名殺人犯としてその名目に座する弁明書」と書き、最後に「被告人支倉喜平」と書かれている。
[#ここから2字下げ]
「判官閣下
聖代仁慈の大正の今日警察内に拷問なきものと思い居りしに、そうではない、今尚神楽坂警察署内に旧幕時代の面影を存しているのであります。実になげかわしき至りであります。
 被告喜平はその拷問に遇い虚偽の申立てなし殺さぬ者を殺したとして今裁判所に移されている者であります。
 今を過ぎぬる四年前小生家宅近在の井中より浮上りしあれなる死体骸骨はまさしく小林貞に相違ありませんでしょうか、小林さだ子としたなら他殺でしょうか自殺でしょうか。それとも何時どうして死に至りしものなのか。私は小林さだ子とは思われんのです。小林さだ子としたならば最少《もすこ》し小さくなければならんのです。神楽坂署にてあれなる死体につき色々に説明を聞きましたなれど、未だ今尚私は疑惑の波に漂うて居るのであります。
 神楽坂署石子刑事の云分。
 お前は小林さだ子を殺害して居るではないか。知りません、殺害して居りません。うそつけ、之れなる骸骨は小林さだ子だよ、お前の妻は立証しているのだ。あの時の下駄を見たろう。見ました、なれども誰れのかわかりません。わからんことはない、小林さだ子の下駄だとお前の妻は云うているのだ。
 そしてお前が殺害したものであると云う事までも云うて居るのだ。白状しろ。どう妻が云うて居りましても私は一向存じません。存ぜん事はない、分らんでは通らん、通させぬのである。この野郎並大抵では中々容易に白状せん、拷問に懸けてやれ」
[#ここで字下げ終わり]
 支倉の上願書は縷々として続くのである。

「それからと云うものは毎日々々刑事室に引出され、各刑事交代に徹夜にて長の責折檻、鉄拳制裁を受けたのであります」
 支倉の上願書はこう云う風に訴えている。
[#ここから2字下げ]
「右からも左からも前からも拳骨雨の降る如く、あの二月の寒空に単衣一枚として硝子戸を明けはなして、それだけならまだしものこと、誰ともわけの判らぬ頭蓋骨を持出して、之はさだ子だ、接吻しろ。頭をなめろ。一度や二度なら兎も角数知れず接吻させられたのであります。そしてお前は白状をせぬうちはこれから拘留の蒸し返しだ幾度となく拘留して、野郎殺してやるからそう思え。明日は裏の撃剣所に連れて行き、縄にて引縛って頭から水をぶっかけてやるからそう思え。そればかしではない、明日早朝お前の家に行き、お前の妻を引張って来て二十日の拘留に処してお前同様責めてやるからそう思え。(妻は度々其前に呼び出され、責められ、その泣き声を聞くのは私には実に辛かったのであります)妻は可愛くないか。罪ないあの子供は可愛くないか。お前は畜生か、此野郎、禽獣にも劣る奴だ。妻の可愛いのも子供の可愛いのも知らんのである。仕方ない奴だ。それ接吻しろ。又も骸骨との接吻数々。喜平もこゝに心身共に疲れ、こんなに責められるなら、いっその事死んだ方がましだと、それから二度目の自殺を謀ったのであります。看守厳重になり到底死ぬ訳に行かず。罪の私は兎もあれ、罪なき妻子を明日から苦しめると云う事は実に忍びない事だ。からとて殺さんものを殺したと云う訳にも行かず、此上は致し方なし、なんぞ嘘言の申立てをなし、此場を一日も早く、骸骨の責め、虎口より逃れ妻子を救わんとしたのであります。かねて根岸、石子両刑事からのたのみもあることですから、こゝに第二の聴取書中の助《すけ》と云う無形の土工を呼び起してさも真実らしく申立てたのです。なれども事中々には承知して下さらんのです。お前は殺したにせなければいかん。人にならってはいかん、と云われ、私が予審々々と幾度願っても、ヨシンに廻して下さらんのです。益※[#二の字点、1−2−22]辛く酷く責められるのであります。徹夜にての骸骨との接吻の連続数々、此上は仕方がない、自分の身を絞首台に上せる外途はない。自身を殺して妻子を助けてやろうと、それから大決心をして茲《こゝ》に私は殺さぬ者を殺したとして大胆にも叫んだのであります。署長殿の前に嘘自白をしたのであります。私も男です、自白いたします
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