《えんおう》者支倉喜平」
之が大正十一年頃支倉がその書信に定って麗々しく書いた署名だった。
彼は六年の長い間未決監にあって、冤罪を訴え続けていた。彼の主張は神楽坂で拷問を受け心にもない自白をしたと云う一点だった。無罪か死刑か。実に明治大正を通じての一大疑獄たるを失わない。
支倉の自白に立会った人はその真実を信じるだろうし、収監以後彼の愁訴を聞いた人達は又彼の云う所を信ずるであろう。木藤大尉は彼を哀れんで助けようとし、能勢弁護士は神楽坂署の拷問事件を糺弾しようとする。殊に後者は機会ある毎に新聞に雑誌に講演に、官憲の人権蹂躙を叫んだので、只さえ一大疑獄になろうとしている所へ、被告人支倉が又特別な性格の持主、そこへ能勢氏の宣伝と三拍子揃ったから、世論|囂々《ごう/\》、朝野の視聴を集め、支倉事件は天下の一問題となった。
能勢弁護士はどうでも神楽坂署員の首の根っ子を押えて、取っちめようと云う考え、之まで度々署長以下の喚問を願ったが、中々許可されなかった。今度も肝心の元署長で今は警視庁の官房主事をしている庄司氏は許可されなかったが、司法主任と、支倉の逮捕には最初から奔走した石子、渡辺両刑
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