力な反証が挙げられそうなもので、電車があったとかなかったとか云う事で小股を掬う必要もなく、又電車があったからと云って、忽ち致命傷がペシャンコになる筈もない。実際電車に乗らないものなら、もっと堂々と争うが好い。
所が支倉の論じようとしているのは、当日|清正公《せいしょうこう》前から電車に乗ったか乗らぬと云う問題でなく、人を殺したか殺さぬかと云う問題である。即ち彼は当日電車に乗らなかったと云う事で殺人を否定しようとしている。之はいけない。電車に乗らなくても、つまり電車に乗ったと云う自白が嘘であっても、殺人をやらないと云う直接証拠がなければ、電車問題は要するに枝葉末節だ。彼はこんな枝葉末節からかゝってはいけない。人は能く根本の議論で勝てないと思うと、枝葉末節の方をほじり出して、対手を陥れようとする。
支倉の思いつきもそんな所らしいが、これは確かに彼の失敗だった。けれどもどうも電車に乗らなかったと云う支倉の申立ては本当らしいと思えるのだ。
電車問題で敗れると、支倉はいよ/\本性を現わした。
予審判事の鋭い訊問に尽く窮地に陥った支倉はいよ/\本性を現わした。それは彼の第三の上願書を読め
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