ものではない。然らば支倉が当時電車がなかったように思ったのも無理はないだろう。だが、彼はその日に実に重大な殺人と云う罪を犯しているのだ。尤もまだこれには疑問の余地がないでもないが、仮りにもこんな大罪を犯したとしたら、その日の事を、記憶喪失病でない限り覚えていない筈はない。支倉は記憶喪失どころか、博覧強記で極く些細なことでもよく記憶している。とすると、どうしても知っていなければならないが、みす/\電車があった事を知っていた、なかった筈などゝ強弁するのは愚の骨頂で、支倉はそんなヘマな事をする人間じゃない。
 で、筆者は結論として支倉は当時電車があったかなかったか、記憶が曖昧模糊としていたのではないかと思う。支倉は獄中で沈吟して、どうも当時電車はなかったらしいと思ううちに、だんだんない方に自信が出て来て、しめたと膝を打ったに違いない。何故ならこの矛盾から神楽坂署に於ける自白を覆す事が出来るからだ。
 だが、殺人罪を犯した日の事を何故覚えていない? やはり彼の自白は出鱈目で、乗りもしない電車に乗ったように云ったのか、当日貞を連れ出した事は嘘か。
 こゝでそう急き込まないで、一寸探偵眼を働かして
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