。私を助けてくれ、殺したと云うて背負って行って呉れと幾度となくたのまれたのであります」
[#ここで字下げ終わり]
 以上は上願書中にある一断片だが、根岸、石子両刑事の方を質してみなくては分らぬ事だが、支倉の云う所は或る程度まで事実に違いない。両刑事は彼をどうかして自白させようと、或いは脅し、或いは誑《だま》し賺《す》かして妻子を枷《かせ》に彼を釣ったかも知れない。尤も之は聞く方のトリックで、場合によっては随分好くない事もあろうが、こんなトリックに乗ってうかと白状する方も、実は身に覚えがあって、どうかしてそれから逃れようと思っていればこそで、向うが隠すのだからトリックを弄するのも止むを得まい。合監に諜者を忍び込まして味方らしく持ち込んで、向うの信頼に乗じて秘密を喋らしたりするのよりは、面と向っているだけ罪が軽いと云える。
 所で、支倉が云うように両刑事がペコ/\頭を下げて、どうか自分達を助けると思って罪を背負って呉れと繰返し頼んだかどうか疑問だが、どうもこの様子では両刑事が、お前は男だろうとか宗教家だろうとか煽《おだ》て上げ、自分達を助けると思って白状して呉れと哀れみを乞うように云ったかも知れない。
 尤も両刑事の云っているのは真実の告白の事だが、支倉にはどう響いたか。この上願書の書き振りでは支倉も男だとグッと反り身になったかも知れない。そうなると、支倉に対する考えを鳥渡変えねばならぬかと思われる。

 支倉とはどんな性格の男か。
 つく/″\彼の言行を見るに、悪事にかけては中々抜目のない男で、それに犯罪性のあるものゝ通有性として、甚だ気が変り易い。気が変り易い一面には梃でも動かぬ執拗な所がある。対手がいつの間にか忘れていて、何の為に恨まれているのか分らぬ位なのに、まだ恨みつゞける。つまり目標を失した行動をやる。くど/\と一つの事を繰返す。こう云う人間は非常に大胆不敵の悪人に見えるが、飜然と悟ると涙を流したりする。支倉はそんな人間ではなかろうか。
 上願書でくど/\と一つ事を繰返して、哀訴嘆願しているが一向にしめくゝりがない。筆蹟や文字を見ると中々しっかりしているようだが、文章となると要領を得ない所がある。読んでいるうちにふと煽てに乗り易い、所謂イージーな(容易な)男ではないかと云うような気がする。
 殊に上願書の次の件の警吏との問答を読んで見ると、頗る飄逸な所があって、之が今死刑になるかならぬか、冤罪か有罪かと云う大切な瀬戸際を争っているものとは思えない。一面から云うと彼の容貌が頗る悪相なのと相俟って、裁判所を茶化すような大胆不敵の徒と見られるが、一面から見ると頭脳《あたま》のどこかに欠陥がありはしないかと思われる。支倉を大胆不敵の痴者と見るか、案外お人好しの煽てに乗り易い男と見るかは、彼の自白の虚実を確かめる上に重大な影響を及ぼすから、彼を全然知らない筆者には軽々しく云えないが、読者諸君は宜しく彼の上願書の全文を通読して、公平な判断を下して貰いたい。
「私は殺人罪を犯して居るものではありません。犯して居らぬものを犯している者と無理矢鱈に警察にては云え白状せよと注文せらるゝのですから、その虚実の申立てをなすにも誠に骨が折れました。先き様の問わるゝ儘に応答したのであります。
 警 お前は小林貞が病院へ行く所を何処で待ち受けたか。
 答 知りません。
 警 知らん筈はない、清正公《せいしょうこう》前あたりか。
 答 そうですね。清正公前の所、坂下で待受けました。
 警 何時間待ったか。
 答 そうですね。
 警 一時間位も待ったか。
 答 そうですね、約一時間程待受けました。
 警 そうか、その時小林さだは如何なる着物を着て居ったか。
 答 そうですね。能く気付きませんでした。
 警 気付かん筈はない、シマかカスリか。
 答 そうですね。シマだと思いました。
 警 シマではあるまい、カスリだったろう。
 答 そうかも知れません。
 警 そのカスリはどんな模様だったか。
 答 そのガラをよく気付きませんでした。
(逢わぬのですから知ろう筈はありません)
 警 よし、それからどこへ連れて行ったか。
(当惑)
 私の心では其時まだ清正公前に電車は通じて居らんものと思い、こゝに裁判へ廻りましてからの立証の道を見出し、乗らぬ電車に乗ったとしたのであります。豈図らんや、それは其折通じてあったとの事驚一驚。
 答 電車に乗りました。
 警 何処へ連れて行ったか。
 答 赤坂の順天堂へ連れて行きました。
 大正二年九月二十二日神戸氏に一百円を渡しやり、二十五日夕神戸氏宅にて証書取交せ、示談事ずみとなったのであります。それに支倉は何とて小林貞を病院へ連れて行く筈がない。こゝに裁判所へ廻ってからの立証道を見出したのであります。
 警 それから病院を辞
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