ければ、その人の方は罪になりませんよ」
「そうでしょうか」
 谷田は半信半疑だった。
「然し妙だな」
 石子はふと思い出したように云った。
「保険会社の方は警察の報告を聞くでしょうから、半焼か全焼か分る筈ですがね」
「それがその」
 谷田は云い悪くそうに、
「何でも警察の刑事だったか巡査だったかも、十円か二十円で買収したんだそうです」
「そうですか」
 石子は苦笑した。
「どうもね、仲間内にも時々心得違いの人が出るので困りますよ」
「尤も何ですな、こう申しちゃ失礼ですけれども、随分むずかしい時には生命がけの仕事をなさるのに、報いるものが少いのですから」
「そうですね」
 石子は苦笑を続けながら、
「それもそうですがね、要するに社会の裏面の事を扱っているから誘惑が多いんですよ。悪い事をした方で直に買収にかゝるんでね」

「素人はどうも推測を確実なものゝように誇張するから困るな」
 谷田の家を出ると、石子刑事は思わずこう呟いた。
 彼の云った事も充分参考になるにはなったが、別に目撃した訳じゃなし、有力な証拠があるではなし、支倉に対する嫌疑は濃厚になるけれども、要するにそれだけである。
「本人は巧に踪跡を晦まして、今だに絶えず嘲弄状を送って来る。そして本人には窃盗、詐欺、放火殺人などの嫌疑がかゝっているが確実な証拠はすこしも挙がらない。こんな奇妙な事件は始めてだ」
 本所界隈を一日歩き廻って無駄足を踏んだ失敗を、計らずも神田で酔払いの定次郎の引合せで谷田に会い、その埋合せが出来るかと思ったのが、そうも行かなかったので、路々こんな事を考えながら石子は元気なく家に帰った。
 家には思いがけなく岸本が悄気切って控えていた。
 妻のきみ子は笑いながら、
「岸本さんはお払箱になったんですって」
「どうして?」
 石子は意外だった。
「すっかり失敗《しくじ》って了ったんです、素人探偵は駄目ですよ」
 岸本は頭を掻いた。
「どうしたんだい」
「何にもしやしないのです。今日ね、随分気をつけていたんですけれども、ついバットを一枚割ったのです。すると奴さん怒りましてね、直ぐ出て行けと云うのです。どうもね、前から怪しいと睨らまれていたらしいのです。おかみさんが随分取りなして呉れましたが駄目です。頑として聞かないのです。あなたがお止めになるのを無理に自分から引受けて置きながらどうも申訳ありません
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