ん》の印《しるし》さえ覚えていないのだ。只提灯は確になかったと云うから、そう遠くへは運び出したとは思われぬ。
「何か覚えていませんか。一寸した事でも好いんですが」
石子は一生懸命に聞いた。
「何でも好いんです。何か目印になるようなものはありませんでしたか」
女中は泣出しそうな顔になってじっと考えて居たが、やがて細い声で切々《きれ/″\》に答えた。
「半纏の背中が字でなくって赤い絵のようなものが描いてありました。背の低いずんぐり肥った人でした」
「どっちの方から来てどっちへ行きましたか」
「来たのは大崎の方からでした。行ったのはあっちです」
女中は市内の方を指し示した。
「仕方がない、大崎方面の運送屋を片端から調べよう。未だ帰っていないかも知れないが」
石子は渡辺刑事の方を向いて云った。
二人は別れ/\に運送店を物色し始めた。
大崎駅附近を受持った石子刑事は、取り敢ず一軒の大きな運送店に這入った。
「僕はこう云うものですがね」
石子は肩書つきの名刺を出しながら、
「今日三光町の方へ車を出さなかったかね」
せっせと荷造りをしながらわい/\騒いでいた人夫達はピタリと話を止めると、ジロ/\と石子を眺めた。
「宅じゃありませんね」
やがて中の一人がブッキラ棒に答えた。
「この辺の運送店で背の低い、ずんぐり肥えた人のいる所はありませんか」
「知りませんね」
対手は相変らず素気なく答えた。人夫達は荷造りの手を止めると、思い/\に腰を下して、外方《そと》を向きながら煙草を吸い出した。
「分らないかね」
石子は落胆《がっかり》したように、
「困ったなあ、少し調べたい事があるんだがね。まあ一服さして貰おうか」
独言のように云いながら、彼は土間の一隅に腰を下した。人夫達は、敵意のある眼で彼を盗み見た。
「少いけれどもね、之で一つお茶菓子でも買って呉れないか」
石子刑事は一円紙幣を出した。薄給の刑事で限られた軽少な手当から、之だけの金を出すのは辛かったが、彼等に親しく口を開かせるのには有効な方法で、彼は度々この方法で成功したのだった。
車座となって番茶の出がらしを啜りながら、石子の御馳走の餠菓子を撮《つま》んで雑談に耽っているうちに彼等はだん/\打解けて来た。
「背の低い肥った運送人、どうも知りませんね。お前どうだい」
人夫の一人は云った。
「この辺にはどう
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