所在監支倉喜平の許に送達された。支倉はこの送達書を受取って、如何なる行動に出るであろうか。
大団円
支倉が最後の手段として試みた忌避の申立は見事に却下されて、即日その決定書が送達されたが、支倉は果してどう云う態度に出たであろうか。
意外! 送達は左の如き符箋つきで戻って来た。
「受送達者支倉喜平を市ヶ谷刑務所につき取調べたるに別紙符箋之通り死亡せし旨田辺看守長より申出につき送達不能、依って一|先《まず》及返還候|也《なり》」
続いて市ヶ谷刑務所より控訴院検事長に宛て左の公文が到達した。
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刑事被告人自殺の件通報
窃盗放火詐欺
強姦致傷及殺人
支倉 喜平
明治十五年三月生
大正六年三月二十日拘留
大正七年七月九日東京地方裁判所第一審判決
右者頭書被告事件に付、控訴中の処、本日午前八時より同時十分迄の間に於て、巡警看守の隙を窺《うかゞ》い、居室南側裏窓の硝子戸|框《かまち》(高さ床上より約一丈)に麻縄約一尺(作業用紙袋材料を括りたるものを予《かね》て貯え、居室内に包蔵しいたるものゝ如し)許りを輪形に結びたるものを懸け、更に自己の手拭と官給の手拭とを縄状として、それを結合聯結し置き、空気抜け孔を踏台として用意の手拭を頸部に纏い垂下し、自己の体重に依り窒息自殺を遂げたるものに候条、別紙死体検案書添附此段及通報候
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支倉は六月十九日、即ち忌避却下の送達書の来る前一日監房内で縊《くび》れて死んだのであった。彼が何故忌避の結果の判明するのを待たずして自殺したか。それは永久に残る疑問であるけれども、思うに彼は六月十三日の公判の結果について既に死を決していたのではあるまいか。判官忌避の如きはその成否眼中にない程彼は庄司氏の証言に絶望を痛感したのではあるまいか。聞く所によると彼は遺書風のものを認め、それには子々孫々まで庄司氏に崇らずして止むべきかと云う物凄い言葉が聯ねてあったと云う。司法警察官たる正当の職務により、正当なる手段を以て兇行後四年既に土芥に帰せんとしていた殺人事件を発《あば》き、貢献多かった庄司利喜太郎氏は終始一貫支倉の呪いの的となり、支倉の行きがけの駄賃として、あらゆる呪いの声を庄司氏一人で引受けて終ったのだった。
さわれ、支倉が遂に第二審の判決を受けずして自殺
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