苦を征服し、世を呪い人を呪って生きつゞけた、忍苦と生存慾とを思うと、その執念の恐ろしさに戦慄を禁じ得ないと共に、一個の人間としての彼の悩みに転《うた》た同情を濺《そゝ》がざるを得ない。
さて、裁判長の訊問は次で聖書の窃盗から放火の事実に進み、一転して貞子の事件に這入った。
支倉は裁判長の訊問に連れて、例の如く、貞子には決して暴行を加えたのではなく、合意の上であって、彼女が病院に通う途中に待受け連れ出したる事実はないと断言した。裁判長は更に追究すると、支倉は、
「高輪警察署で書類を隠されて居ますし、神戸に書き送った手紙も出して呉れませんから、分りません」
と嘯《うそぶ》きながら答えた。
「では」
裁判長はキッとなって云った。
「その書類がないので弁明出来ないと云うのか」
裁判長のこの弁明出来ないのかと云う問は支倉に余程応えたと見え、彼は忽ち叫んだ。
「そうではありません。弁明が出来ないと云う訳ではありません。では申上げます」
公判の劈頭に書類を能く読んでいないからと拗《す》ねて答弁を渋った支倉は、こゝに於て恰《あたか》も堤の切れた洪水の如く、滔々数千言、記憶が薄らいだどころか、微に入り細を穿《うが》ち、満廷唖然とする一大雄弁を以て語り出した。
「之につきましては最初から申上げねばなりません。どうぞ御聴取を願います」
こう前置して彼は当時の事情を手に取るように委しく述べ立てた。殊に彼と小林兄弟、神戸牧師の三角関係は最も詳細に述べた。
「神戸はどうしても謝罪状を書けと原稿のようなものを出しましたが、私は拒絶いたしまして、それとなく君と僕と定次郎と共に貞の所へ行って、強姦か和姦か聞けば分る事だから、聞きに行こうと、云いましたが、神戸はそれに応じて呉れなかったのであります。私はこの為に随分迷惑いたしました。定次郎は私の不在中酔払って、外から大声を揚げてやって来まして、此家の主人は俺の娘を姦して淋病を感染さして、病院の入院料さえ払わないと大声で怒鳴った事さえあるのです。私は入院料を払わなかった事はありません。生憎定次郎に会った時には領収証をなくしていたのです。それも病院へ行って聞けば分る事です」
支倉は一度喋り出すと文字通り懸河の弁で、滔々数十分、言葉巧に当時の状況を説き来り説き去り、最後に、
「左様な事実で、貞を強姦したる事もなく、又殺害したる事実もないので
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