て、之が今死刑になるかならぬか、冤罪か有罪かと云う大切な瀬戸際を争っているものとは思えない。一面から云うと彼の容貌が頗る悪相なのと相俟って、裁判所を茶化すような大胆不敵の徒と見られるが、一面から見ると頭脳《あたま》のどこかに欠陥がありはしないかと思われる。支倉を大胆不敵の痴者と見るか、案外お人好しの煽てに乗り易い男と見るかは、彼の自白の虚実を確かめる上に重大な影響を及ぼすから、彼を全然知らない筆者には軽々しく云えないが、読者諸君は宜しく彼の上願書の全文を通読して、公平な判断を下して貰いたい。
「私は殺人罪を犯して居るものではありません。犯して居らぬものを犯している者と無理矢鱈に警察にては云え白状せよと注文せらるゝのですから、その虚実の申立てをなすにも誠に骨が折れました。先き様の問わるゝ儘に応答したのであります。
警 お前は小林貞が病院へ行く所を何処で待ち受けたか。
答 知りません。
警 知らん筈はない、清正公《せいしょうこう》前あたりか。
答 そうですね。清正公前の所、坂下で待受けました。
警 何時間待ったか。
答 そうですね。
警 一時間位も待ったか。
答 そうですね、約一時間程待受けました。
警 そうか、その時小林さだは如何なる着物を着て居ったか。
答 そうですね。能く気付きませんでした。
警 気付かん筈はない、シマかカスリか。
答 そうですね。シマだと思いました。
警 シマではあるまい、カスリだったろう。
答 そうかも知れません。
警 そのカスリはどんな模様だったか。
答 そのガラをよく気付きませんでした。
(逢わぬのですから知ろう筈はありません)
警 よし、それからどこへ連れて行ったか。
(当惑)
私の心では其時まだ清正公前に電車は通じて居らんものと思い、こゝに裁判へ廻りましてからの立証の道を見出し、乗らぬ電車に乗ったとしたのであります。豈図らんや、それは其折通じてあったとの事驚一驚。
答 電車に乗りました。
警 何処へ連れて行ったか。
答 赤坂の順天堂へ連れて行きました。
大正二年九月二十二日神戸氏に一百円を渡しやり、二十五日夕神戸氏宅にて証書取交せ、示談事ずみとなったのであります。それに支倉は何とて小林貞を病院へ連れて行く筈がない。こゝに裁判所へ廻ってからの立証道を見出したのであります。
警 それから病院を辞
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