綻びかけていた。冷たく顔に当る風さえが、眼に見えない伸びようとする霊気を含んでいるようだった。
力なく/\帰署する石子の頭には、支倉の失踪を中心として起ったいろ/\の奇怪な事件が渦を捲いていた。
魔手
「奥さん、これですっかり手続はすみました」
浅田は落着き払って云った。
「どうもいろ/\有難うございました」
静子は丁寧に頭を下げた。
こゝは支倉の留守宅の離れ座敷である。基督《キリスト》受難の掛額や厚ぼったい金縁の聖書其他の調度がありし日の姿そのまゝに残っている。石子刑事が見たら感慨無量であろう。相対した男女の二人は支倉の妻の静子と写真師浅田である。
庭には午後の陽が暖かそうに一杯当っていた。
「之でこの家も高輪の借家の方もみんなあなたのものになった訳です」
浅田は生際の薄くなった額を撫で上げながら、気味の悪い笑いを洩らした。
「ほんとにお手数をかけました」
静子は格別嬉しそうにせず、
「何ともお礼の申上げようがありません」
浅田は要件が済んで終《しま》っても中々尻を上げようとせず、又新しい敷島に火を点けて、四辺《あたり》をジロ/\睨み廻していた。
静子は手持無沙汰で、一刻も早く彼の帰って呉れる事を念じていた。
「お淋しいでしょう」
暫くすると浅田が云った。
「はい」
「お子供さんの御病気はいかゞですか」
「有難うございます。病気はもう夙《とう》から好いんでございますけれども――」
静子は後を濁らした。支倉との間に出来た太市《たいち》という今年六つになる男の子は、少し虚弱な質で、冬になると直ぐ風邪を引いて熱を出したりするので、一月の初めから温かい海岸にいる親切な信者の所へ預けてあった。一月末には迎いに行く事になっていたが、丁度刑事に踏み込まれたりして、迎いに行くのが延々になり、子供にこんな有様を見せたりするのは面白くなかったし、幸い子供も帰りたがらないので、その儘預け切りになっているのだった。
「支倉さんも坊ちゃんに会いたがっていましたよ」
「――――」
静子は黙ってうつむいた。涙がにじみ出て来た。子供に会いたいのは彼女とても同じ事、一時も早く親子三人団欒して、昔の平和な生活に帰りたかった。もしや子供が今頃父母を慕って泣いていはせぬかと思うと、落着いた気はなかった。一時の心得違いから家を外に隠れ廻っている夫が恨めしか
前へ
次へ
全215ページ中57ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
甲賀 三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング