の廻りに置いているでしょうか。もし、縛ったり、家宅捜査をしたりして、書類が出て来なかったら、シムソンは何と云うでしょう。それこそ、どんな逆捻《さかね》じを食っても仕方がないではありませんか。
 つまり、問題は盗まれた秘密書類がどこに隠されているかと云う事です。シムソンを縛って調べた所で、易々《やすやす》と云う気遣《きづか》いはありません。仁科少佐の任務はシムソンを縛る事よりも、どこに書類があるかと云う事を見つけて、一刻も早くそれを取り返す事にあるのです。
「シムソンは無論どこか安全な場所に書類を隠しているに相違ないのだ」谷山大佐は云いました。「彼は我々がきっととり返しに来ると思って、暫《しばら》くは様子を覗《うかが》っているに違いない。しかし、ぐずぐずしていると、彼は書類を隠し場所から取り出して、本国へ送るだろう。そうなっては大変だ。だから我々は出来るだけ速《すみや》かに隠し場所を発見して、取り戻さなければならないのだ」
「承知しました。誓って速かにとり返します」
 仁科少佐は決心の色を現わして、きっぱり云いました。谷山大佐は満足そうにうなずきながら、
「ぜひ成功してくれ給え。いや、君なら必ず成功すると思っているのだ。しかし、気をつけ給えよ。シムソンはどうしてなかなかの奴なんだから。殊《こと》に彼の邸《やしき》はすっかり電気仕掛の盗難予防器が張り廻してあって、ちょっとでも手が触れると、家中に鳴り響くと云う事だから、余程用心しなくてはいかんぞ」
「御注意有難う存じます。では、閣下、仁科は重要書類を奪回して参ります」
 少佐は参謀総長以下|並居《なみい》る上官に一渡り敬礼して、元気よく部屋を出ました。

   猫と鼠

 夜は深々《しんしん》と更けて、麹町《こうじまち》六番町のウイラード・シムソンの邸《やしき》のあたりは、まるで山奥のように静まり返っています。時折ヒュウヒュウという梢《こずえ》を吹く木枯しの音が、反《かえ》ってあたりの静かさを増しています。この夜更《よふけ》に、この寒さに、こんな所を通る人はあるまいと思うのに、折しもコツコツと歩道を踏んで来る人影がありました。
 彼はシムソンの家の前に来ると、立止って、暫くあたりの様子を覗《うかが》っていました。門の前の電灯に照し出された男は、外套《がいとう》の襟《えり》を立てて、帽子を眉深《まぶか》にかぶっていますが、疑いもなく仁科猛雄でした。
 仁科少佐はやがてヒラリと鉄柵を越えて、シムソンの邸の中に躍り込みました。鉄柵と云うのは、ホンの腰位の高さの煉瓦《れんが》の柱の間に、やはり同じ位の高さで張《は》り巡《めぐ》らしてあるので、飛越えるには大した造作はないのです。しかし、用心堅固の邸の中へ入るのは容易な事ではありません。仁科少佐にはどんな成算があるのでしょうか。
 仁科少佐はツカツカと宏壮な洋館の傍《そば》に近づきました。そうして、ああ、何たる乱暴! 手に持っていた太いステッキで、窓にピタリと締っている鎧戸《よろいど》を力任せに叩きました。
 メリメリと鎧戸は壊れました。少佐はその壊れ目にステッキを突込んで、梃《てこ》のようにして、とうとう鎧戸をこじり開けました。次に彼は窓の硝子《ガラス》を叩き破りました。ああ、鎧戸や窓硝子を壊した音は兎《と》に角《かく》として、電気仕掛の報知器はシムソンの部屋のあたりで鳴り響いているでしょうに。仁科少佐は谷山大佐からぐれぐれも注意して貰った事を忘れたのでしょうか。もし、忘れていないとしたら、何たる大胆不敵ぞ、いや、寧《むし》ろ無謀な事ではありませんか。
 窓硝子を叩き破《わ》った仁科少佐は、破れ目から手を入れて、窓を開けました。そうして、そこからヒラリと家の中に飛込みました。部屋の中は真暗です。少佐は扉《ドア》を開けて廊下に出ました。廊下も真暗です。少佐は爪先探《つまさきさぐ》りに進んで行きました。すると、不意に横から少佐目がけて、パッと懐中電灯が照《てら》されました。そうして同時に、固いものが少佐の脇腹《わきばら》に当りました。少佐はハッと驚いて両手を上げました。ピストルの筒口が横腹に突きつけられたのです。ああ少佐はとうとう敵に捕《つかま》ったのです。
「ハハハハ、よくお出になりました。私が案内いたします。さあ、お歩きなさい」
 嘲《あざけ》るように云ったのはシムソンでした。さすがに間謀を勤めるだけあって、アクセントは少し変ですが、日本語はうまいものです。
 仁科少佐はピストルを突きつけられて、両手を挙げたまま、前の方に押し進められました。
 やがて、少佐はシムソンの居間らしい部屋の中に追い入れられました。シムソンは少佐のポケットを調べて、持っていたピストルを取り上げました。
「まあ、おかけなさい」
 シムソンは前にあった椅子を指しました
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