森君は帽子を取ってペコンとお辞儀をして、坊さんが呆《あき》れている暇にさっさと歩きだした。僕も少し呆れながら森君の後について行った。
お寺の門の外へ出ると、森君は又妙な事を云い出した。
「この辺に電灯会社の出張所はないかなあ」
暫くブラブラ歩いているうちに、十軒ばかり家が並んでいる所へ来た。その外《はず》れの一軒に電力会社|工夫《こうふ》詰所《つめしょ》と書いた札が出ていた。森君はその中にはいって行った。中には恐い顔をした工夫が二三人いたが、森君は平気だった。森君は全く勇敢だ。
「小父《おじ》さん」森君はなれなれしく云った。「この近所に動力を使っている所がありますか」
「ああ、あるよ。この向うの精米所《せいまいじょ》と、それからこっちの機織場《はたおりば》と。妙な事を聞くね」工夫の一人は不審そうに森君を見た。金ボタンの制服を来た小さい中学生がだしぬけに変な質問をしたのだから、工夫の驚いたのは無理がない。
「有難う。その他にありませんか」
「その他には、この近所にはないね」
「この頃盗電はありませんか」
「あるよ。盗電があって困っているんだ」
工夫はびっくりしたように森君の顔を眺めながら答えた。
「どこで盗んでいるんだか分らないんですか」
「分らないので困っているんだよ。君はどうしてそんな事を訊くんだい」
「別にどうという事はないんです。どうも有難う。さようなら」
森君は又ペコンと頭を下げて外に出たが、珍らしく僕に話かけた。
「大人なんて、案外駄目なもんだなあ」
僕は何が駄目なのかよく分らなかったので黙っていた。
工夫詰所を出た森君は後戻《あともど》りを始めた。すると、来る時には気がつかなかったが、一軒の小さい鍛冶屋《かじや》があった。ブーブーと鞴《ふいご》でコークスの火を燃やして、その中で真赤にした鉄を鉄床《かなとこ》の中に鋏《はさみ》で挟《はさ》んで置いて、二人の男がトッテンカンと交《かわ》る交《がわ》る鉄鎚《てっつい》で叩いていた。叩く度にパッパッと火花が散った。
森君は鍛冶屋の前に行くと又ツカツカと中にはいった。
「お寺の和尚さんの頼んだものはいつ出来ますか」
「ネジ廻しかね」向う鎚《づち》を振上げた男は迂散《うさん》そうな顔をして、森君を見ながら、「明日の朝出来ますだよ」
「有難う」
森君は鍛冶屋を出たが、ニコニコしていて何だか嬉しそうだった。
森君は先に立ってグングン歩いて行くので、僕はどこへ行く積《つも》りだろうと怪しみながらついて行くと、又《また》先刻《さっき》のお寺の門の所に来た。森君は平気でさっさと門を潜ってお寺の中へはいった。
「風岡君、僕はもう一ぺん縁の下に潜るから、あの変な坊さんが来ないか見ていて呉《く》れ給え。もし来たら、来たッと云って呉れ給え。好いかい」
僕がもうそんな事は好し給えと止めようと思っているうちに、森君はもう縁の下に潜ってしまった。僕は先刻の和尚さんが来たら又怒るだろうと思って気が気ではなかった。すると、向うの方から急いで来る和尚さんの姿が見えたから、僕は縁の下を覗《のぞ》きながら大きな声で、
「来たッ!」と云った。
森君は急いで這い出して来て起上《おきあが》ると、泥を払う暇もなく、
「風岡《かざおか》君逃げろ、逃げろ」と云って、一目散に走り出した。僕も夢中で駆け出したが、先に駆けて行く森君の手を見ると、何だか瓶《びん》みたいなものを掴《つか》んでいた。
「待てッ! こら泥棒!」
和尚さんは大きな声で怒鳴って、ドシンドシンと僕達の後を追い駆けて来た。僕達はもう少しの所で捕まる所だったが、その時に森君は以前《まえ》に見て置いたと見えて、村の交番の中に駆け込んだ。(ここは交番と云うのではなく駐在所と云うんだそうだ)僕も続いて駆け込んだ。中にいた巡査は目を丸くした。
「そ、そいつは泥棒です」
息を切らしながら後から駆けて来た坊さんは、巡査とは知合《しりあい》の中だから、ちょっと会釈《えしゃく》して、僕たちを睨《にら》みながら云った。
「泥棒でも何でもありませんよ。坊さんの方が悪いのです。これを見て下さい」
森君も息を弾《はず》ませながら云って、手に握っていた瓶を巡査の前に差出した。
「な、なんじゃね。之《これ》は」
巡査は吃驚《びっくり》したように云った。びっくりするのも無理がない、誰だって出し抜けに汚い瓶を目の前に出されたら、何が何だか分りゃしないもの。
「之はお寺の縁の下にあったのです。これは劇薬の塩酸の瓶です。これは――」
森君が云いかけると、坊さんは今まで真赤にしていた顔を、急に真蒼《まっさお》にして森君に飛びかかろうとしたが、直ぐに思い返して、ドンドン元来た方へ逃げようとした。
森君は大きな声で叫んだ。
「アッ、逃がしてはいけません。早く捕まえて下さい。あの坊さんが贋紙幣《にせさつ》を造っているんですッ!」
交番の巡査は泡を喰って坊さんの後を追《おっ》かけた。
三
「僕は始めには何にも知らなかったさ」
坊さんが捕まって、森君の云った通り贋紙幣を造っていた事を白状した時に、森君はちょっと得意になって云いました。
「僕は飛山君が気の毒だと思って、一ぺん飛山君の家へ行って、お父さんが貰って使おうとしたと云う贋紙幣はどこから来たのか、旨《うま》く行けば尋ね出したいと思ったんだよ。所が道で、ホラ、びっこを引いた犬がいたろう。脚の爪の間の蝨《だに》を取ってやる時に、ふと脚の裏を見ると赤味のかかった紫色のインキがついているじゃないか。僕は知っているけれども、之《これ》は普通のインキじゃない。印刷用の上等のインキなんだ。念の為にペンキ屋があるかと聞いて見たがないと云うし、田舎に印刷屋がある筈《はず》もない。おかしいなと思って、他の犬を調べて見たが、一匹だけ、ホラ、茶の斑《ぶち》のお寺の犬の脚の裏にベットリと同じインキがついているんだ。白い犬と斑犬《ぶちいぬ》は親友らしく、いつも一緒にふざけているらしい。そこで、僕はお寺へ行って見る気になったのさ。そうしたら、二匹の犬がお堂の縁の下へ駆け込んだろう」
「うん」僕はうなずいた。「それで、君はわざと五十銭銀貨を落して、縁の下へ潜りこんだのだね」
「そうなんだよ。けれども、実は僕はあの時には未《ま》だ何にも分らなかった。所が、お寺の和尚さんが僕をひどく叱りつけて、銀貨を探していると云ったら、銀貨をやるから縁の下には潜るなと云ったろう。あの時に僕はふと怪しいと思い出したんだ。和尚さんの様子が只事《ただごと》じゃなかったからね。二匹の犬はどこで印刷に使う赤紫のインキを踏んだのか知らないけれども、仮《か》りにお堂の下で踏んだものとしたら、そして和尚さんがお堂の下を見られるのを嫌《いや》がっているとしたら、大いに怪しくなって来るじゃないか」
「それから君は電灯会社の詰所へ行ったね」
「ああ、僕はね、もしどこかで紙幣《さつ》を印刷していたら、きっと機械を動かすのに電気を使うだろうし、その電気は黙って盗むに違いないと思ったから工夫の詰所へ行って聞いて見たのさ。そうしたら僕の思い通りだったんだ」
「それから鍛冶屋へ行ったのは」
「もし、僕が怪しいと思った和尚さんが、贋紙幣を拵えていたら、機械を使うのだから、何か鍛冶屋に注文してはいないかと思ったから訊いて見たんだ。そうしたら、お寺に要りそうもないネジ廻しを注文していたと云う事が分った。これでいよいよお寺が怪しくなったので、もう一度お寺に帰って縁の下に潜りこんだのさ。そうして、ずっと奥の方に入って見ると、暗くてよく分らないけれども、大きな穴が掘ってあって、その中に機械らしいものが見えた。その時に君の来たッ! と云う声が聞えたので、急いで飛出したんだが、その時に傍に転げていた瓶を拾って来た。外へ出て見たら、それは劇薬の塩酸の空瓶《あきびん》だった。塩酸は印刷に使う銅の板を磨いたり、腐蝕《ふしょく》させて、いろいろの文字や模様を彫り込むのに使うのさ。駐在所まで追かけて来た坊さんは僕にすっかり見破られたと思ったので、あわてて逃げ出したんだよ」
僕は感心して森君の顔を見た。全く森君はいろんな事を知っているのには敬服する。
お寺の縁の下は直ぐ調べられたが、森君の云った通り中ほどに大きな穴が掘ってあって、そこに精巧な印刷機械が据えつけてあった。印刷機械は電気で動くようになっていて、電気は勝手に線を引いて盗んでいた。大きなお堂の縁の下だし、廻りは広々と明いているし、お寺がすでに一軒ポツンと離れているのだから、少し位機械の音がしても聞えはしなかったのだ。それに誰だってお寺の坊さんと云えば尊敬しているのが常だから、そんな悪い事をしようとは思わなかったので、中々知れなかったのだ。
坊さんは縁の下の秘密が分ったので、すっかり白状してしまった。外にも四五人仲間があって、中には印刷の職工や画工や彫刻師があったが、みんな捕まってしまった。だんだん調べてみると、主謀者は他にあって、坊さんは無理に引込まれたのだと云う事だった。飛山君のお父さんは家が貧乏で、お寺からお金を借りたり、いろいろ世話になっていたので、今度も、坊さんから贋紙幣と知らないでお金を借りたのだったが、警察へ連れて行かれた時に恩になった坊さんの名を出すまいと、どんなに調べられても黙っていたのだった。飛山君のお父さんは恩を忘れないで感心には感心な人だけれども、そう云う悪い事をする人の世話になったのはいけないとお母さんがおっしゃった。だから人は無闇《むやみ》に他人の世話にならないで、独立してやって行けるようにならなくてはいけませんとおっしゃった。
森君は又警察から賞《ほ》められて褒美《ほうび》を貰った。飛山君は元通り学校に来ているが、何でも飛山君の感心な事を聞いて、誰かが学資を出して呉れるようになったので、飛山君は前のように苦学をしなくても好いようになって、前よりももっと出来るようになった。好い事をしていればいつか報いられるものだと思う。
飛山君は幸福となるし、飛山君のお父さんは疑いが晴れるし、森君は本当に好い事をしたと思う。大人も見つける事の出来なかった悪者を見つけて、この世の中から退治たのは偉いと思う。森君は大人のような智慧《ちえ》があって、何だか恐《こわ》いけれども、一方ではとても優しい所があるから僕は大好《だいすき》だ。現に今度の事でも、森君が優しくびっこの犬を介抱してやったればこそ、緒《いとぐち》が見つかったんだから。
底本:「少年小説大系 第7巻 少年探偵小説集」三一書房
1986(昭和61)年6月30日第1版第1刷発行
初出:「少年倶楽部」
1930(昭和5)年8月
入力:阿部良子
校正:大野 晋
2004年11月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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