ゅうと、女でも子供でも行きますが、その頃は中々どうして、登る人も少く、道が悪いから人夫も仰山連れて行かなならんし、金持の坊ちゃんの道楽みたいなもんだした。道楽ちゅうても、女狂いから見たら、余程上等です。そこで和武も山登りを始めてから、すっかり身が固うなっています。
 一体、十八九で狂い出した者は、眼が覚めるちゅうても、中々二十代ではむずかしいもンで、三十四十になって、やっと改まるのがせい/″\だすが、この和武ちゅう人は、たった二三年の狂いで、二十になるともう素行が改まっています。之はどうも珍らしい事で、私の考えでは、事によるとこの人は心《しん》は固いのやろと思います。子爵家を飛び出す為に、態《わざ》と無茶をやったのか、そうでなかったら、子爵家のやり方が悪いので、一時的に自暴《やけ》見たいになったのか、どっちかやろうと思います。
 尤も子爵家でもその事は悟ったと見えて、和明ちゅう子供が生れた時に、一ぺん勘当を許して、上京せいというて来ています。その時は和武は二十三か四だしたが、一旦は喜んで上京するちゅう手紙を出して置きながら、とうとう行かなかったちゅう事実があります。之が誠に可笑しいので
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