父の弟が養子に行った当時は、頗《すこぶ》る盛大だったが、その後間もなく家産が傾き始め、長男の代にはもういけなくなった。然し、未だ旧家の余勢で、その子の安蔵の所へは、公家の某家から片づいている。然し、家の方は僕が発見した時にはもう身代限りをして跡かたもなく、陋巷《ろうこう》に窮迫しているという有様だった。而《しか》も、安蔵は病の床に伏し、妻の清子は身重だった。
二人はだから、僕の願いを直ぐ聞入れて呉れた。
他には別に面倒はなかった。
先ず朝子を妊娠と称して、京都にやり、高本の子供の生れるのを待っていた。
幸か不幸か、安蔵は間もなく死んだので、この事を知っているのは、僕達夫妻と、お清と、たった一人の産婆だけである。産婆も然し、僕達の届出については全然関知しない。それに、今や、君を加えた訳である。
お清は既にお察しの事と思うが、重明についていた乳母である。重明は生みの親に育てられたともいえるのだ。血続きとはいいながら、重明は僕にそっくりだった。その事が僕をどんなに喜ばしたか、君はよく知って呉れている筈だ。
お清は余り長くつけて置いては悪いと思って、適当な時機に暇を与え、一生を楽に
前へ
次へ
全89ページ中32ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
甲賀 三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング