対に否認するに極っているのだ。偽名して診察を受けた事は不利ではあるが、それが何か恥かしい病気であれば、大して非難も出来ない事ではないか。それに彼が今日診察を受けに来ないのは、当然なのだ。彼は二川家で忙《せわ》しく采配を振っているのだ。
 検事局は告発は受理して呉れるとしても、果して検挙するだろうか。検挙しても起訴出来るだろうか。
 野村には重武の罪が明々白々のように思われた。然し、彼を罰せしむべく、十分の自信がないのだ。
 多くの事は時が解決して呉れる。然し、この事件に限り、時が経てば経つほど駄目になるのだ。赤いうちに打たねばならぬ鉄なのだ。
 野村はいら/\しながら、当度《あてど》もなく歩き廻っていた。


          七

 翌日午後二時、青山斎場で二川重明の神式による葬儀がしめやかに行われた。
 斎主は二川家の相続者たる重武だった。
 重武は真白な喪服をつけて、玉串《たまぐし》を捧げて多数の会葬者の見守る中を、しず/\と祭壇に近づいた。
 と、突然、会葬者の中から脱兎の如く飛出して、重武に飛びついた者があった。
 それが中年の婦人であること、重武の純白の式服がみる/\真赤になって、彼がバッタリと斃れたこと。加害者たる中年の婦人が、返す刃《やいば》で咽喉を掻き切って、その上に折り重なったこと、それは全く瞬間的に、会葬者の眼に映じた事だった。彼等は恰《あたか》も悪夢を見るように暫くは呆然としていた。
 加害者の婦人は五十五六の品のいゝ老婆だった。即座に縡切《ことき》れたので、むろん、姓名も住所も分らなかった。
 野村儀作にだけ、この加害者婦人が、何という名で、何の目的で重武を斃したのか、はっきり分っていた。
 然し、彼は誰にもその事をいわなかった。
 こうして、由緒ある二川家は遂に断絶したのだった。
[#地付き](〈新青年〉昭和十年八、九月号連載)



底本:「日本探偵小説全集1 黒岩涙香 小酒井不木 甲賀三郎集」創元推理文庫、東京創元社
   1984(昭和59)年12月21日初版
   1996(平成8)年8月2日8版
初出:「新青年」
   1935(昭和10)年8、9月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫、土屋隆
校正:小林繁雄
2005年11月1日作成
青空文庫作成ファイ
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