だね」
「そうだとも。もう大丈夫だ。重武なんかに指一本指させる事はない。朝子もどんなに仕合せだか分りやしない」
「奥さんも喜んだろうね」
「僕が躍り上って喜ぶのを見て、泣いていたよ」
「所でだがね」
 僕は重武の名が出たので、ふと思いついて、
「もう君も後継が出来たから安心だし、重武君もこの頃は大分身持も直ったようだし、目出度い事のあったのを幸いに、勘当を許して、東京に住むようにして上げたらどうだ」
 僕は多分二川は嫌な顔をするだろうと思ったが、案外しんみりとして、
「うん、朝子もそういうのだ。僕アもう五年ばかり会わんからなア」
 重武は重行の父重和が芸者を妾にして生ませた子で、それだから、重行がひどく嫌うのだが、元からそう悪い人間ではなかった。重武は十一の年に認知されて、二川家に引取られたが、父の重和は間もなく死ぬし、引取られた時には重行はもう二十一で、始めから反感を持っていたし、重武の方にも僻《ひが》みがあったし、それに何といっても行儀などは出来ていないので、召使までが蔭口をいうような有様で、重武を不良にしたのは、重行始め周囲のものの責任ともいえるのだ。
 重武は十八の年にはもう女と酒を知って、身を持崩し、二川家を飛出して、それから兄の名を騙《かた》って、方々で金を借り倒し、危く刑法に触れる事まで仕出かして、二十の年に放浪の旅に出て、爾来三年間、時々兄に無心を吹きかけては、旅を続けているのだった。
 重行はいい続けた。
「もうあれ[#「あれ」に傍点]に勝手な事をされる心配もないし、許してやってもいゝとは思っているんだが、まア考えて置こう」
 僕はそれ以上追及せずに帰って来た。
[#ここで字下げ終わり]

 次の日記はそれから二三ヶ月経ったもので、野村は既に生れていたのである。

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 どうも二川の溺愛ぶりには恐れ入った。僕もむろん生れた子を可愛いとは思うが、二川の真似は出来ない。彼は恰《まる》で外の事を忘れている。明けても暮れても、赤ン坊の顔ばかり眺めているのだ。あの若さで、子爵の御前が、不器用な手つきで赤ン坊を抱いて、あやしている姿は天下の珍景だ。
 然し、僕は二川が新たに生れた子供に対する態度を通じて、彼がどんなに妻を熱愛しているかを知る事が出来る。全く彼が子供を得た喜びの半分は、彼の亡き後に妻が頼って行くものが出来たという事にあるのだ。
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