ょうか」
「何を云うんだ。真昼間大勢の中で、棄子をする奴があるもんか。それに撰りに撰って、貧乏書生なんかに渡す奴はないよ」
とは云いながら私にも実は不思議でならないのだ。新聞に広告さえも出さないで、子供の行衛を尋ねようとしない親の心が分らないのだ。
妻は黙って終った。私には妻の心がよく分るのだ。私が自分の不注意から、こんな厄介物を背負込んで来た事を、苦に病んでいる事をよく知っているものだから、妻は自分の気苦労を押し隠して、私を慰めるように、ああ云うのだ。ほんとうに可愛そうな妻よ。私はどうしたら好いのだろう。
所が、天は何と無情なんだろう、それとも親に背いた罰なのか、この窮境の時に、私はふと風邪を引いて終った。然し風邪を引いたと云って、じっとはしていられないのだ。就職口と赤ン坊の親とを探し出さねばならぬのだ。私は無理に外を歩いた。
二三日すると私はどっと床についた。四十度の熱が出た。我慢にも起きられない。肺炎になったのだ。貯えの尽きようとしている時に、他人の赤ン坊を背負込んでいる時に、私は動けなくなったのだ。泣き叫ぶ赤ン坊と、高熱に浮かされる夫の間で、甲斐甲斐しく働く妻を見ると思わず熱い涙がハラハラと溢れるのだ。でも、私はもう筆をとる事さえ出来なくなった……。
妻の手記
夫が寝てから一週間になる。四十度の大熱が続いて、今が一番危険な時だとお医者さんが仰有った。肺炎には手当が肝心だと云うので、氷で冷したり、湿布をしたり、吸入をしたり、私は夜も寝ずに介抱した。でも未だ先が見えない。私はどうしたら好いだろう。
夫も心配だけれども、赤ン坊にも伝染《うつ》りはしないかと随分心配だわ。だって赤ン坊は他所の子ですもの。夫が思いもかけぬ大病になって、その中で赤ン坊を馴れぬ手に育てる。それもあり余るお金でもあれば別だけれども、こんな貧しい中で、明日にもなくなるお金の事を思うと、ほんとうに情けなくなる。然し之もみんな神様がお試しなさる事だ。夫がこのまま治って呉れれば、赤ン坊が育ってさえ呉れれば、今までの苦労は何でもない事だわ。けれども、夫が寝込んだ為めに赤ちゃんのお母さんを探す事が出来なくて困って終う。ほんとうにお母さんはどうしていなさるんでしょう。
夫が始めて赤ちゃんを連れて帰った時に、私は随分驚いたけれども、夫の話に真実偽りがあろうとは思いません。ほんとうに親の身になったら、どんなにか辛い事だろう。一時も早くお返えし申したいと思ったわ。
けれども、その翌日、ふと赤ちゃんが夫によく似ている事を発見《みつ》けた時に、私はどんなに驚いたろう。横顔がそっくりなんですもの。私、疑っては済まないのだけれ共、夫が他所で生ました子で、何かの訳で連れて来たのだと思いました。でも余り夫の話が奇妙なんですもの。
私、随分考えたわ。夫に限ってそんな筈はないと思うのだけれども、もしやと思うと、そりゃ情けなかった。けれども赤ちゃんはほんとうに可愛くて仕方がない。これが夫の子なら、この子のお母さんさえ承知なら私は喜んで育てるわ。私は心から夫を愛しています。私の為めにお父さんと喧嘩して、その為めにこんな悲惨な暮をなすっているんですもの。夫の子だと思えば私自分の子のように愛せるわ。私何遍か夫にその事を云おうと思った。だって、余りよく似ているんだもの。でも流石にそうとは云い兼ねて、一度冗談のように、宅の子にしようかと云ったら、すぐ馬鹿と叱られて終った。でも女と云うものはしようのないもの、私はまだ迷っていたわ。
間もなく夫の病気、大熱が続いたので、お父さんの事や、私の事や、随分いろいろと囈言《うわごと》見たいな事を云った。私は心配でおろおろしながらも、それでももしや夫が赤ン坊の秘密でも云いはしないかと、ほんとうに我ながら気の狭いのにあきれる、聞耳を立た事だった。けれども赤ン坊の事は気が確な時に二度許り、早く親の手に返えしたいと云った切り。人と云うものはこんな時に嘘の云えるものじゃない。自分の子なら心配してなんとか云うに違いない。私ほんとに疑るなんて済まない事をした。赤ちゃんは夫の子でもなんでもありゃしない。他の赤ちゃんなんだ。
こう分ると、何だか張りつめた気がガッカリした。赤ン坊は可愛くて可愛くて、それに私によく馴染んで、離すのは嫌だけれども、いつまでもこうしてはいられない。早く親の手に返さなければならないし、夫は病気だし、どうしたら好いだろう。
ああ又隣で子供が騒ぐ。隣の人達はみんな好い人で、それにお母さん一人で大勢の子供を抱えているのだから、無理のない事だけれども、安静が第一だと云う夫の病気に障ったらどうしよう。こんな日当りの悪い六畳に三畳切のバラックで病みついている夫が気の毒で仕方がない。私と云うものさえなければ何不自由なく暮して行ける身分なのに、このまま熱が下らなかったらどうしよう。それよりももう一週間も病気が続いたら、薬を上げる事も出来ない。ああ涙で何にも分りゃしない。この意気地なし奴。
どうぞ一日も早く夫の病気が治り、そして赤ン坊の親が知れますように、神様お願いです。
私立探偵の手記
私は未だかつて取扱った事のない奇妙な事件を依頼せられた。依頼人は若い婦人であったが、その夫が東京駅前である未知の婦人から、その婦人が呉服店行の自動車に乗るのを助ける目的で、その婦人の子供と思われる赤ン坊を受取ったままはぐれて終って、その赤ン坊を宅へ連れ帰り、種々の事情からそのまま預り育てていると云うので、夫が大患に罹った為め、妻たるその婦人が私の事務所を訪ねて、秘密裡に母親を尋ね出す事を依頼したのである。
これは誠に奇妙な事件だ。
預った方が警察に届けなかったのは、まあ理由があるとして、預けた方が之を秘密裡に葬ったのは合点の行かぬ事だ。私は直ぐに都下の各警察署、並に同業各私立探偵社を調査したけれども、赤ン坊の捜索願と云うのは一件もなかった。
前後の事情から考えると棄子とは思われない。赤ン坊も赤ン坊の母親と思われる婦人も共に相当の身装をしていた点から察しても、生活に困るものと思われない。それに警察を憚るとはどう云う訳だろうか。普通の常識から考えると、母親たるものは自分の子供を失って平然として居られるものではない。況やその子はどんな他人が見ても愛せずには居られない可愛らしい子だと云うではないか。
警察に訴えて出ないのは何か後めたい事がある為めとしか考えられないが、一体どんな事を恐れるのだろうか。
第一に考えられる事は母親か或は父親か、それとも一家の中の誰かが、警察のお尋ね者になっている事だ。けれども母親の様子は犯罪者に関係があるようには見えない。のみならず、母子の情愛は些々《ささ》たる刑罰位には替えられぬ筈だ。
第二は母親が子供を手渡した後、直ぐに何かの事情で外部との交通を断れた事である。例えば万引其他の犯罪で検挙せられたか、或は誘拐せられたとか云う如きである。然し私の調べた所では検挙せられた様子もなく、家出人の届出にも似よりのものはなかった。
第三は、之は甚だ薄弱な理由だけれども、この外には最早考えるべき所は残っていない。即ちその子が正当な子でない事で、私生児、姦夫の子、或は犯罪人の子などで、父親なり母親なりの身許を警察に知られたくない場合であるが、然しこんな事はよし訴え出た所で、充分隠せる事だし、又警察でも一身上の秘密を曝露するような事はしない。だからこんな事は、自分の子を失った母親を引止める障害となろうとは思えない。その外|継子《ままこ》、貰子、拾子等実子でない場合が数えられるけれども、いかに実子でないと云っても、他人に手渡して行衛が分らなくなったのを、そのままにして置く気遣いはない。
そこでふと思いついたのは、その婦人は何かの理由で、赤ン坊を受取った青年を見知っていたのではないか、と云う事である。何故なら以上論じ尽した理由によると、どうしても見ず知らずの他人の手に赤ン坊を渡して、母親が晏如《あんじょ》としている筈がないからである。どう云う理由でかは分らぬが、その婦人が青年を知っていたとすると、その婦人は赤ン坊が無事にいつかは我手に戻る事が信ぜられるから、幾分落着いていられる訳である。こう考えると、その婦人が訴えて出ない事にも幾分解釈がつく。即ちその婦人は青年が世を忍ぶ身である事を知って、彼に同情して訴え出ないのだ。
この考えの許に、私は依頼人の知人関係を調べる事にした。何しろ依頼人自身が身許を隠しているので、この調査は頗る困難であったが、三四日の後判明した事は、依頼人の夫たる青年は某銀行家の一人息子で、結婚問題から一昨年家出したものであった。銀行家からは警察は勿論我々同業へも捜索の依頼がしてあった。皮肉な事には私の所へもちゃんと依頼が来ていた。その銀行家は一時の激昂の余り一人息子と義絶した事を後悔しているらしく、殊に二年に余る行衛不明はだんだん年をとって行く身に犇々とこたえると見えて、最近に一層猛烈にその行衛を尋ね出したのであった。
親の方の関係、それから青年の友人関係と辿って見たが、最近赤ン坊をなくして悲嘆に暮れている家は見当らなかった。私の見込ははずれたのだろうか。
私は母親の身になって考えて見た。よし自分の赤ン坊が知人の手にある事が分って、その知人が人目を避けているので急に遭えないと云う事が分っても、じっとして居られるものだろうか。彼女は青年が何かの手段で赤ン坊を返えしに来て呉れる事を予期しているに違いない。だが青年は彼女の名も所も知らないのだ。ではどこへ返えしに行く。それは彼等が共通に知っている所でなければならぬ。ではどこ? 東京駅前だ。呉服店だ。現に青年も健康でさえあれば、そこへ出かけた筈ではないか。
時刻は? 矢張り始めに別れた時刻だ。
そう思って私は依頼を受けてから五日目、午後二時過ぎ、東京駅前に行った。
駅頭は相変らず混雑していた。呉服店行の自動車には群集が犇めいていた。私は思わず微笑んだ。
二三台の自動車を見送っているうちに、ふと私はそこから少し離れた所に一人の婦人が佇《たたず》んでいるのを発見した。
年の頃は二十五六、少し面窶《おもやつ》れはしているが、丸髷に結った奥さん風のすっきりとした美しい婦人である。
じっと観察していると、彼女は自動車の発着の度に、眼を輝して忙しく乗降の人を探し求めている。自動車の姿が消えると、そのぱっちりとした眼は急に悲しそうになる。
私は思った。この婦人だ。この婦人に違いない。私は思い切って傍へ行って言葉をかけようとした。その時に予期しない邪魔者が這入った。私が近寄らないうちに、私と反対の方から、一人の憂鬱な皺を額に刻んだ頑丈そうな六十近い年頃の紳士が太いステッキを振り振り婦人の傍へツカツカと寄って、一言二言囁いたと思うと、一緒にさっさと歩き出したのである。
私は機会を失して茫然とその後姿がだんだん小さくなるのを見送っていた。
だが、私は幸されていた。その夜、思いがけなく、赤ン坊を人に預けたまま、行衛を見失った母親が、その赤ン坊の捜索を私に頼む為めに私を訪ねて来た。美しい丸髷の婦人で、今日東京駅前で見たその人であった。
再び妻の手記
流元《ながしもと》で氷を砕いて立上ろうとすると、くらくらとして急にあたりが暗くなって終った。それからどれ位経ったか、赤ン坊の泣声に気がつくと、私は台所の板敷につっ伏《ぷ》していた。永い間の寝不足で瞼がひとりでに塞って、気が遠くなるのを一生懸命に堪えて、部屋に這入ると、寝ている夫の頭にそっと氷嚢を載せた。それからそっと三畳に寝ている赤ン坊を覗き込んだ。
夫は一時下りかけた熱がブリ返えして、高い熱が又一週間続いている。赤ン坊は幸せと丈夫だったけれども、病気の夫を抱えて、馴れない赤ン坊の世話だもの。気苦労ばかりで、思うように行かない。今にも動けなくなる時が来そうな気がする。
それに、薬代とか、氷代、炭代、赤ン坊の牛乳代など、倹約にしていれば二月位あるだろうと夫と話し
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