或は犯罪人の子などで、父親なり母親なりの身許を警察に知られたくない場合であるが、然しこんな事はよし訴え出た所で、充分隠せる事だし、又警察でも一身上の秘密を曝露するような事はしない。だからこんな事は、自分の子を失った母親を引止める障害となろうとは思えない。その外|継子《ままこ》、貰子、拾子等実子でない場合が数えられるけれども、いかに実子でないと云っても、他人に手渡して行衛が分らなくなったのを、そのままにして置く気遣いはない。
そこでふと思いついたのは、その婦人は何かの理由で、赤ン坊を受取った青年を見知っていたのではないか、と云う事である。何故なら以上論じ尽した理由によると、どうしても見ず知らずの他人の手に赤ン坊を渡して、母親が晏如《あんじょ》としている筈がないからである。どう云う理由でかは分らぬが、その婦人が青年を知っていたとすると、その婦人は赤ン坊が無事にいつかは我手に戻る事が信ぜられるから、幾分落着いていられる訳である。こう考えると、その婦人が訴えて出ない事にも幾分解釈がつく。即ちその婦人は青年が世を忍ぶ身である事を知って、彼に同情して訴え出ないのだ。
この考えの許に、私は依頼人
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