のを抱えて下りて来たわ。
『これがコイル、これがマグネットです。コイルに強力な電流を通じると、マグネットに強力な磁力が生じます。ちょっとやって見ましょう』内野さんは机の下を探し回って、太い電線を見つけてつないで、それから先刻《さっき》の壁のスイッチを押して、ニッケルの文鎮を傍へ持って行くと、パチッと音がして吸いついちゃった。あたし吃驚したわ。
『文鎮が鉄だったら、恐らく下村君は一時間も前に謎を解いたでしょう。純粋のニッケルが磁石に吸引せられる事はちょっと人の知らぬ事です。先生は天井裏にこれを仕掛けて、電流を通じて文鎮を天井に吸いつかせ、次に電流を切ってそれを自分の頸の上へ落としたのです。自殺です。さっきほらあの方の磁石が狂ったでしょう。あの時は偶然検事さんがこのスイッチを押して居られたので、磁石が机の方を指したのです。文鎮は二つ拵《こしら》えてあってかねて清水さんの指紋を取ってあった方を使ったのです。嫌疑が清水さんにかかるように仕組んであったのは十分なる理由《わけ》があるように思います。この機械の傍にこの通りもう一本のニッケルの文鎮と、そしてもう一通の先生の遺書がありました』
この遺書《かきおき》は警察宛てだったので、すぐ開けられたの。あたしは検事さんが読んでいる内にハラハラと熱い口惜《くや》し涙を流したわ。
『親愛なる警察官諸君。私はこの第二の遺書が私の死後幾日にして開かれるかを知らない。私が改めていうまでもなく、この遺書の見出される日はすなわち私の死が自殺である事が明らかになる日で、清水に対する嫌疑の晴れる日である。私はこの遺書の発見せられる時期が、彼清水が私に加えた暴戻《ぼうれい》に対する復讐に必要にして十分なる程度に、長からずかつ短からざるを祈る』
短過ぎたわ。先生が生きて復讐する事が出来ないで、死んで仇《あだ》をとろうとあれだけの苦心《くしん》をなすったのに、こうむざむざと見つけられるとは。あの業突張りに何故もっと大きな天罰が与えられないのでしょう。あたし涙が止めどなく出て仕方がなかったわ。皆の思いも同じでしょう。暗い顔をしてしばらくは誰も口を利くものがありません。
でも、後はもう古田の問題だけでしょう。殺人でなかったので検事さん達はホッとして帰り支度を始めたわ。清水は嬉しいんだか何だか気抜けしたようにポカンとしていましたっけ。
そうすると突然内野さんが検事さんを呼びかけたのです。
『検事さん。まだ少し事件が残っています。私は清水氏を古田と共謀して先生の研究を盗み出した人として告発したいと思います。それからこの下村君も無罪ではありません。彼は診察室の窓を開けて置いて、古田の忍び込むのに便宜《べんぎ》を与えました』
まあ。下村さんがそんな事をしたのかしら。じゃ下村さんは清水の手先だったのかしら。けれども何か内野さんの思い違いじゃないかしら。もし思い違いなら、随分ひどいわ。それとも平常《ふだん》の議論の仇討《あだう》ちかしら。そんならなおひどいわ。こんな場合にそんな事をいわれちゃどんなに迷惑するか知れやしない。けれども内野さんがそんな卑怯な事をする気遣いはなし、あたし随分思い迷っちゃったわ。でも下村さんは割合に平気だったわよ。
こういわれると検事さんだって、うやむやにする訳にも行かないでしょう。内野さんのいう事を聞き出したの。あたしは外へ出されちゃったわ。それからどうしたものか、下村さんと清水さんは警察に連れて行かれちゃったわ。
悪い事は続くもの。その晩とうとう奥さんも亡くなっちゃったの。内野さんが万事取り締って、一日置いて淋しいお葬《とむらい》を出してね、奉公人はそれぞれ暇を取って帰ったのですが、あたし内野さんと変になっちゃってね、下村さんを警察へやっちゃったと思うと、なんだか内野さんが頼もしくない人のように思えて、どうも前のようにはならなかったわ。それでも別れる時に、『八重ちゃん、さようなら、ご縁があったらまた逢いましょう』といわれた時には何だか心細くて涙が出たわ。
その後の事はあんたも新聞で知っているでしょう。清水と古田は先生の研究を盗もうとした罪で刑務所へ入れられたわ。清水はあの日殺人の嫌疑が逃れられぬと思った為に、すっかり驚いてしまって、その後頭脳が呆けてまるで駄目になっちゃったそうだわ。矢張《やっぱ》り天罰ね。先生のご研究というのは何でも戦争に役に立つ事なんですって。これは無事に陸軍だか海軍だか知らないが、ちゃんとその方へ納まったんですって。ただ思いがけなかったのは下村さんが警察へ行く途中で逃げちゃった事だわ。あたしまさかそんな事する人とは思わなかったんですけれどもね。人って分からないものと思っていたの。そうしたらなんでも二、三カ月経って、清水や古田の事がすっかり落着《らくちゃく》した時分よ、
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