だ。格別過去や未来を思ふことはしないで、一を一倍しても一が出るやうな現在の中に、慎しく生きてゐるのだ。酒といふ、或る者には不徳の助奏者、或る者には美徳の伴奏者たる金剛液を一つの便り、慎しく生きてゐるのだ。
発掘されたポムペイ市街の、蠅も鳴かない夏の午《ひる》、鋪石や柱に頭を打ちつけ、ベスビオの噴煙を尻目にかけて、死んで沙漠に埋められようとも、随分馬鹿にはならないことなのを、それでもまあ、日本は東京に、慎しく生きてゐるのだ。
――なんてヒステリーなら好加減よすとして、今晩はこれで眠るとして、精神を憩《やす》めておいて、また明日の散歩だ……
毎朝十一時に御飯を運んで来る、賄屋《まかなひや》の小僧に起こされて、つまり十一時に目を覚ます。真ツ赤な顔をした大きい小僧で、ジャケッツを着てビロードのズボンをはいてゐる。毎朝そいつの顔を見るといやでも目が覚めるくらゐニヤニヤ笑つてゐる。年齢《とし》は二十四ださうである。先達は肺炎を患つて、一ヶ月余り顔を見せなかつた。洋食を持つて来た日は得意である。「今日はまた、チト、変つたものを持つて上りましたア」と云ひながら風呂敷を解く。それから新聞を読んで、ゆつくりして帰つて行く。
私は先晩の水を飲んで、煙草を二三本吸ふ。それが三十分はかゝる。それから水を汲んで来て、顔を洗ふ。薬鑵に水を入れかへたり、きふすを洗つたり、其の他、一々は云はないけれど、男一人でゐるとなると、却々《なかなか》忙しいものである。
それらがすむとまた一服して、新聞は文芸欄と三面記事しか読みはしない。ほかの所は読んでも私には分らない。だいぶ足りないのだらうと自分でも思つてゐる。
今朝の文芸欄では、正宗白鳥がホザイてゐる。勝本清一郎といふ、概念家をくすぐつてゐる。「人間の心から、私有欲を滅却させようとするのと同様の大難事である。」なぞと書いてゐる。読んでゆくと成程と思ふやうに書いてゐる。ところで私にはなんのことだか分らない。私が或る一人の女に惚れ、その女を私有したいことと、人間の私有欲なんてものとが同日に論じられてたまるものか、なんぞと、読んぢまつてから、その文章の主旨なぞはまるでおかまひなしに思つちまふ。
凡そ心も精神もなしに、あの警句とこの警句との、ほんの語義的な調停を事としてゐて、それで批評だの学問だのと心得てゐる奴が斯くも多いといふことは、抑々、自分の心が要求しはしなかつた学問を、本屋に行けば本があつたからしたんでさうなつたんだ。
「やつぱり朝はおみおつけ[#「おみおつけ」に傍点]がどうしたつて要りますなあ」だの、「扇子といふやつはよく置忘れる代物ですなあ」とか云つてれあともかく活々してる奴等が、現代だの犯罪心理なぞとホザき出すので、通りすがりに結婚を申込まれた処女みたいなもんで、私は慌ててしまふんだ。
大学の哲学科第一年生――なんて、「これは深刻なんだぞオ」といふ言葉を片時も離さないで、カントだのヘーゲルなぞといふのを読んでゐる。
欧羅巴《ヨーロッパ》がハムレットに疲弊しきつた揚句、ドンキホーテにゆく。するてえと日出づる国の大童らが、「さうだ! 明るくなくちやア」とほざく。向ふが室内に疲れきつて、戸外に出る。すると此方《こつち》で、太陽の下では睡げだつた連中が、ウアハハハツと云つて欣《よろこ》ぶ。その形態たるや彼我相似てゐる。鉄管も管であり、地下鉄道も管である。
なあに、今日は雨が降るので、却々散歩に出ないんだ。没々《ぼつぼつ》ハムレットにも飽きたから、ドンキホッテと出掛けよう。雨が降つても傘がある。電車に乗れば屋根もある。
底本:「日本の名随筆 別巻32 散歩」作品社
1993(平成5)年10月25日第1刷発行
底本の親本:「中原中也全集 第三巻」角川書店
1967(昭和42)年12月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2006年12月30日作成
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