ぎーこたん、ばつたりしょ……』
狸婆々《たぬきばば》がうたふ。

  港《みなと》の市《まち》の秋の日は、
  大人しい発狂。
  私はその日人生に、
  椅子を失くした。


ためいき
  河上徹太郎に

ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気《しやうき》の中で瞬きをするであらう。
その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。
木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。

夜が明けたら地平線に、窓が開《あ》くだらう。
荷車を挽いた百姓が、町の方へ行くだらう。
ためいきはなほ深くして、
丘に響きあたる荷車の音のやうであるだらう。

野原に突き出た山の端の松が、私を看守《みまも》つてゐるだらう。
それはあつさりしてても笑はない、叔父さんのやうであるだらう。
神様が気層の底の、魚を捕つてゐるやうだ。

空が曇つたら、蝗螽《いなご》の瞳が、砂土の中に覗くだらう。
遠くに町が、石灰みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光つてゐる。


春の思ひ出

摘み溜めしれんげの華を
  夕餉《ゆふげ》に帰る時刻となれば
立迷ふ春の暮靄《ぼあい》の
    土の上《へ》に叩きつけ


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