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われかにかくに手を拍く……


夏の日の歌

青い空は動かない、
雲|片《ぎれ》一つあるでない。
  夏の真昼の静かには
  タールの光も清くなる。

夏の空には何かがある、
いぢらしく思はせる何かがある、
  焦げて図太い向日葵《ひまはり》が
  田舎の駅には咲いてゐる。

上手に子供を育てゆく、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  山の近くを走る時。

山の近くを走りながら、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  夏の真昼の暑い時。


夕 照

丘々は、胸に手を当て
退けり。
落陽は、慈愛の色の
金のいろ。

原に草、
鄙唄《ひなうた》うたひ
山に樹々、
老いてつましき心ばせ。

かゝる折しも我ありぬ
小児に踏まれし
貝の肉。

かゝるをりしも剛直の、
さあれゆかしきあきらめよ
腕|拱《く》みながら歩み去る。


港市の秋

石崖に、朝陽が射して
秋空は美しいかぎり。
むかふに見える港は、
蝸牛《かたつむり》の角でもあるのか

町では人々|煙管《きせる》の掃除。
甍《いらか》は伸びをし
空は割れる。
役人の休み日――どてら姿だ。

『今度生れたら……』
海員が唄ふ。
『ぎーこたん、ばつたりしょ……』
狸婆々《たぬきばば》がうたふ。

  港《みなと》の市《まち》の秋の日は、
  大人しい発狂。
  私はその日人生に、
  椅子を失くした。


ためいき
  河上徹太郎に

ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気《しやうき》の中で瞬きをするであらう。
その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。
木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。

夜が明けたら地平線に、窓が開《あ》くだらう。
荷車を挽いた百姓が、町の方へ行くだらう。
ためいきはなほ深くして、
丘に響きあたる荷車の音のやうであるだらう。

野原に突き出た山の端の松が、私を看守《みまも》つてゐるだらう。
それはあつさりしてても笑はない、叔父さんのやうであるだらう。
神様が気層の底の、魚を捕つてゐるやうだ。

空が曇つたら、蝗螽《いなご》の瞳が、砂土の中に覗くだらう。
遠くに町が、石灰みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光つてゐる。


春の思ひ出

摘み溜めしれんげの華を
  夕餉《ゆふげ》に帰る時刻となれば
立迷ふ春の暮靄《ぼあい》の
    土の上《へ》に叩きつけ


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