存を否認することは不可能であり、結局さらば彼の否認とはほんの心理的一事実に過ぎないとなら、さつさと人々は情けを認容し、謂はばチエホフの微笑の中に行き、――近代よ、汝の神経衰弱より放たれるがよい。
甞て彼――一近代病者は、「情けぞ人の命なる」といふヴェルレーヌが一詩に不図心惹かれ、惹かれた迄はつつましやかであつたが、惹かれ終つて彼はそはそはしはじめた。
「どうしたのだ」と訊ねると、羞むともなく羞みながら、「それでは私の場合では何を愛せばよいか?」といふのだ。
「貴方が情けを感ずるものを」と答へると、間もなく彼はイライラしだした。
では彼は情けを持たぬのであらうか? 否! 生きとし生けるもの無情ではない。唯彼の場合は、情けではないが情けの実質(層)が、可なり錯乱してゐるのである。
何よりも彼はもと善良な人で、その善良は今も依然存する[#「存する」に傍点]が、彼の善良は働き[#「働き」に傍点]を失つてゐる。
注意せよ、彼は以前には驚くべく観念明晰な男であつたが、やがてその観念を自己の裡に位置せしめる底のもの、即ち自然――手を差伸べもしないが手を退きもしないもの、――が人間の裡にあつて
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