は恩愛的な作用をつとめる、その作用を、雑念或は意識及び其の惰性によつて忘失したのである。その忘失こそ忘失者自身には認め難いのであつて、恐るべき近代病の根本性質はそれである。
 けれどもそれらの人も、ヴァニティや倨傲を棄てて、自分自身に克ちさへするなら、忽ちに新鮮な生活は展けてくる!

 然し此の錯雑した時勢にあつても、いつかな愚鈍で、有難からぬ幸福のお方もあつて、その手合では、情けとは迎合性や動物的嗜好などを意味するだけで、つまりまあ気分屋なのである。
 近所が火事であるための驚きと、心の感動と、言換れば偶然と必然とを、混同しない程度に比例して芸術非芸術があるとはシモンズの謂ふ所だ。芸術は扨措いて、生活の中ででもそのやうな手合は困るのであつて、それらの人が朝目覚めた時の無念無想、即ち瞑想状態が、精神にも物質にも有益であつて、其処にこそ現実があり欣怡のあることに想到されるやう、私一介の馬鹿は希つてゐる。

 作曲家は音域の拡大に、文人は語法の発明に、画家は偏へに方法的な今日、生活はその無味な装美にカラ躁ぎする今日、それもまあよいとして、感覚(受動)方面にばかり忙しく、魂(能動)方面が一向それに伴はない時、その人々が人生を無味だと云つたり懐疑を口にするとしても、慈愛は絶対に存して、蒼空は永遠に曇天よりも晴れやかであらう……



底本:「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」角川書店
   2003(平成15)年11月25日初版発行
初出:「白痴群 第六号」
   1930(昭和5)年4月1日発行
入力:村松洋一
校正:小林繁雄
2009年5月5日作成
青空文庫作成ファイル:
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