でせう。
冬の夜
みなさん今夜は静かです
薬鑵《やくわん》の音がしてゐます
僕は女を想つてる
僕には女がないのです
それで苦労もないのです
えもいはれない弾力の
空気のやうな空想に
女を描いてみてゐるのです
えもいはれない弾力の
澄み亙《わた》つたる夜の沈黙《しじま》
薬鑵の音を聞きながら
女を夢みてゐるのです
かくて夜は更《ふ》け夜は深まつて
犬のみ覚めたる冬の夜は
影と煙草と僕と犬
えもいはれないカクテールです
2
空気よりよいものはないのです
それも寒い夜の室内の空気よりもよいものはないのです
煙よりよいものはないのです
煙より 愉快なものもないのです
やがてはそれがお分りなのです
同感なさる時が 来るのです
空気よりよいものはないのです
寒い夜の痩せた年増女《としま》の手のやうな
その手の弾力のやうな やはらかい またかたい
かたいやうな その手の弾力のやうな
煙のやうな その女の情熱のやうな
炎《も》えるやうな 消えるやうな
冬の夜の室内の 空気よりよいものはないのです
秋の消息
麻は朝、人の肌《はだへ》に追い縋《すが》り
雀らの、声も硬うはなりました
煙突の、煙は風に乱れ散り
火山灰掘れば氷のある如く
けざやけき※[#「景」におおがい]気《かうき》の底に青空は
冷たく沈み、しみじみと
教会堂の石段に
日向ぼつこをしてあれば
陽光《ひかり》に廻《めぐ》る花々や
物蔭に、すずろすだける虫の音《ね》や
秋の日は、からだに暖か
手や足に、ひえびえとして
此の日頃、広告気球は新宿の
空に揚りて漂へり
骨
ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらはしい肉を破つて、
しらじらと雨に洗はれ、
ヌックと出た、骨の尖《さき》。
それは光沢もない、
ただいたづらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。
生きてゐた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐つてゐたこともある、
みつばのおしたしを食つたこともある、
と思へばなんとも可笑《をか》しい。
ホラホラ、これが僕の骨――
見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残つて、
また骨の処にやつて来て、
見てゐるのかしら?
故郷《ふるさと》の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立つて、
見てゐるのは、――僕?
恰度《ちやうど》立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがつてゐる。
秋日狂乱
僕にはもはや何もないのだ
僕は空手空拳だ
おまけにそれを嘆きもしない
僕はいよいよの無一物だ
それにしても今日は好いお天気で
さつきから沢山の飛行機が飛んでゐる
――欧羅巴《ヨーロッパ》は戦争を起すのか起さないのか
誰がそんなこと分るものか
今日はほんとに好いお天気で
空の青も涙にうるんでゐる
ポプラがヒラヒラヒラヒラしてゐて
子供等は先刻《せんこく》昇天した
もはや地上には日向ぼつこをしてゐる
月給取の妻君とデーデー屋さん以外にゐない
デーデー屋さんの叩く鼓の音が
明るい廃墟を唯独りで讃美し廻つてゐる
あゝ、誰か来て僕を助けて呉れ
ヂオゲネスの頃には小鳥くらゐ啼いたらうが
けふびは雀も啼いてはをらぬ
地上に落ちた物影でさへ、はや余りに淡《あは》い!
――さるにても田舎のお嬢さんは何処《どこ》に去《い》つたか
その紫の押花《おしばな》はもうにじまないのか
草の上には陽は照らぬのか
昇天の幻想だにもはやないのか?
僕は何を云つてゐるのか
如何《いか》なる錯乱に掠《かす》められてゐるのか
蝶々はどつちへとんでいつたか
今は春でなくて、秋であつたか
ではあゝ、濃いシロップでも飲まう
冷たくして、太いストローで飲まう
とろとろと、脇見もしないで飲まう
何にも、何にも、求めまい!……
朝鮮女
朝鮮|女《をんな》の服の紐
秋の風にや縒《よ》れたらん
街道を往くをりをりは
子供の手をば無理に引き
額|顰《しか》めし汝《な》が面《おも》ぞ
肌赤銅の乾物《ひもの》にて
なにを思へるその顔ぞ
――まことやわれもうらぶれし
こころに呆《ほう》け見ゐたりけむ
われを打見ていぶかりて
子供うながし去りゆけり……
軽く立ちたる埃《ほこり》かも
何をかわれに思へとや
軽く立ちたる埃かも
何をかわれに思へとや……
・・・・・・・・・・・
夏の夜に覚めてみた夢
眠らうとして目をば閉ぢると
真ッ暗なグランドの上に
その日昼みた野球のナインの
ユニホームばかりほのかに白く――
ナインは各々守備位置にあり
狡《ずる》さうなピッチャは相も変らず
お調子者のセカンドは
相も変らぬお調子ぶりの
扨《さて》、待つてゐるヒットは出なく
やれやれと思つてゐると
ナインも打者も悉《ことごと》く消え
人ッ子一人ゐはしないグランド
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